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社長コラム

能楽堂と「鏡の間」

昨年の暮れ、渋谷区松濤の観世能楽堂を訪れました。

ここは、日本最古の芸能である、能楽の最大の流派・観世流の活動拠点です。

この日、能楽堂では舞台裏の見学会が開かれました。

通常、能楽師以外の者は立ち入り禁止となっているだけでなく、公演がない日は、一般者は見所(けんしょ=客席)への入場さえ許可されないことからも、それは大変、稀な機会でありました。

ご担当の案内によって、囃子の楽屋、ワキ方(脇役)の間、シテ方(主人公)の間、そして装束の間を巡った上で、見学者一同は、厳かな空気が張り詰める「鏡の間」へと、辿りつきました。

四間四方ほどの板の間に、七尺の高さを持った、三面の姿見が設えられている、この「鏡の間」は、シテ方が出番の直前、面や衣装を整えるためだけの場でなく、舞台から引き上げてきた直後にそのまま鏡の前に立ち、たった今まで、客席から見えていたであろう己れの姿を、じっと見るという決まりの場でもあります。


初世・観阿弥から数えて二十六世であり、宗家当代の観世清河寿(きよかず)氏は、著書の中で、この鏡の前に立つ時を「その日の舞台の出来不出来を突きつけられるような、大変厳しい時間」と称しています。

そして、それは能楽を大成させたと言われる世阿弥が、伝書に記した「離見の見(りけんのけん)に通じるもの」とも述べています。

「見所より見る所の風姿は、わが離見なり。しかれば、わが眼の見るところは、我見なり。離見の見にはあらず。離見の見にて見るところは、すなはち見所同心の見なり。その時は、わが姿を見得するなり」<花鏡/世阿弥著>

(客席から見ている視座を「離見」という。その一方で、ただ自分が見つめている視座は「我見」であって「離見の見」ではない。客席から見るのと同じ視座を得た時、はじめて自分で自分の姿を、確かに把握できるのである)

鏡という道具を用い、そこに投射された己れを見ることで、自分を見つめる“もう一人の自分”を確立する・・・つまり、この“鏡の間の儀式”とは「我見」の囚われを去って「離見」の視座をつかむために、考案されたものであると思われます。

ここで、私が興味深く感じたのは、この鏡の間が生まれたのが、能楽が成立した時期より、かなり後の時代と言われていることでありました。

─── 自分が、離見の視座をつかめたとしても、後継に対して、その智恵を直接的に伝えることはできない。

なぜならば、「知識」は他者に“伝達”できても、「智恵」は本人が“体得”するしかないからである。

自分が受け継いだ流祖の哲学を、次代へと受け渡していくことは当然として、その智恵を体得する流れを、未来へと永続化させるために、自分にできることは一体何か? ───

“永遠の未来”と“有限の人生”とが、鋭く相克する狭間に身を置いた、歴代の継承者たちは、熟慮の末に、“変えてはならないもの”を正しく伝えつつ、“変えなくてはならないもの”を改めて新たにする・・・すなわち「精神の継承」に基づく「方法の革新」へと、辿り着いていったのでしょう。

世界にも他に類を見ない、700年にも渡る芸能の流派の歴史。

それは、この鏡の間の創出に象徴されるような、連綿たる創造的な営為によって支えられてきた・・・私には、そのように思えてなりません。


観世能楽堂は本年の3月で、この松涛の地における半世紀近くの歴史を終えて閉場します。

そして明年秋、中央区の銀座・松坂屋跡地へと移転し、新たな能楽堂として開場を向かえることになります。

観世流にとって銀座への移転は、かつて江戸時代の三代将軍・家光から拝領した地であると共に、国内外に対する、能楽文化の更なる発信を期しての、新天地への進出の意味を持つと伺いました。

わが国が、世界に誇る文化の“継承と革新”による創造が、またこの地から新たに始まるのでしょう。

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