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社長コラム

パリが“花の都”である理由

フェイスブックのウォールを賑わせていた、学生たちの卒業旅行の季節も、終わりに近づきました。

社会に出る直前の、この二度とかえらない瞬間を、本当に大切にしてもらいたいと、思いが募ります。


─── かれこれ20年にもなりますが、私が卒業旅行で、欧州の建築を観て回っていた時のことです。

のどかな昼下がり、あるパリの教会前の広場では、多くの市民たちが憩っていました。

その広場の片隅で、私は低いフェンスに腰かけながら、教会のファサード(正面部のデザイン)を眺め、手元の旅手帳にスケッチしていました。

すぐ近くでは、黒のレザージャケットに、シルバーのアクセサリーで全身を固めた、いわゆる“不良っぽい”若者たちが、にぎやかに息巻いています。

やがてその中の一人が、広場の向こうに仲間を見つけたのか、そちらへと歩き始めた時のことでした。

その若者が、私の手前でピタっと立ち止まり、突然話しかけてきました。

「?!」

フランス語で話しかけられた、その言葉の意味は理解できませんでした。

しかし、そのジェスチャーから、彼が何を語りかけようとしているのかは、すぐ分かりました。

「君の前を横切ってしまっても、いいかい?」

彼は明らかに、そう問うています。

「・・・ど、どうぞっ」

たしか、思わず日本語で応じた私に(笑)、彼はニッコリ微笑を返して、目の前を通り過ぎていきました。


要するに彼は、教会のスケッチに専念している私の視界を、一瞬、さえぎってしまってもよいか、了解を得たのでありました。

決して、狭い道でのすれ違いなどではありません。あくまで、大きな広場の一角での出来事です。

そんな、彼のうしろ姿を見送りながら、私は「一本とられたっ」と思いました。

それがアジアからの来訪者による、他愛もない創作の行為だったとしても、勝手に妨げるようなことは決してしない・・・その一介の若者の振る舞いに、そんな信条を見せつけられた気がしたからです。


パリに集積した、人類の至宝とも言うべき数々の文化財は、これまで何世代にも渡り、人々に潤いを与えながら、彼らの感性を磨き高めてきたことでしょう。

しかし、この街の市民が垣間見せたのは、完成された一流の芸術だけを愛して、それ以外を軽んじるという姿勢ではありませんでした。

たとえ、それが未熟であったとしても、創造的な活動を互いに尊重し、リスペクトするのは当たり前である・・・そんな姿勢が、にじみ出ているかのようでありました。

そして、それは咲いている“花”だけに捉われるのではなく、それを成り立たせている“根”を見つめるという、文化の本質に対する、深い理解と愛情の現われではなかったかと思います。


かつて、言語学者の外山滋比古(とやましげひこ)氏は、著書でこう述べています。

「われわれは、花を見て、枝葉を見ない。かりに枝葉は見ても、幹には目を向けない。まして根のことは考えようともしない。とかく花という結果のみに目をうばわれて、根幹に思い及ばない」と。(「思考の整理学」ちくま書房 )

氏が、日本の文化形成における、土壌の貧弱さに警鐘を鳴らしてから、三十余年が経った今、果たしてわが国は、根幹というものを見つめ、思いを馳せられるように成熟してきたのだろうか・・・そんな問いが浮かんできます。


私にとって、パリが“花の都”である理由。

それは単に、ルーブルやオルセーが所蔵する、壮麗な作品群の存在でもなければ、あらゆる街角を彩る、洒脱な華々の存在だけでもありませんでした。

私にとってその理由とは、あの早春の広場で、それがまるで当たり前であるかのように、文化の花を育んで守ろうとした、一人の若者の振る舞いの輝きにこそ、あったのだろうと思います。

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