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社長コラム

すべての営みの出発点

当社のメルマガ創刊より、一年が経ちました。

いつまで、この筆不精の寄稿が続くのやら、不安の中でのスタートでしたが、皆様からの励ましによって、何とかここまで来れました。


このコラムを綴るとき、いつも胸から離れぬ一節があります。

「我われはどこから来たのか 我われは何者か 我々はどこへ行くのか」

P・ゴーギャン(1848~1903)の、畢生の大作のタイトルには、私たちを、すべての営みの出発点へと立ち返らせる“問い”が、込められています。

この、イー・ファルコンという会社は、いったい「どこから」来て「どこへ」行くのか・・・この本源的な問いに答える役目を自覚するにつれ、このコラムのテーマも、自ずとそこへ回帰していくように思えます。


─── 2年前、この会社において現在の役割が決まった時、私がまず始めにやろうと決めたのは、創業以来の事業変遷に関する、再確認でした。

それを思い立った理由を辿れば、学生時代にまで行き着きます。

かつて私は、大学時代の恩師の下、特定の国内外の地域における、生活の道具や様式といった“目に見える側面”の調査を通じて、心意的な価値等の“目に見えない側面”を見つめ、そこに立脚した上で、地域の新たな姿の実現に取り組むという、地域活性化の活動に携わっていました。

そんな経緯を持つことから、企業経営においても、次の時代を描くには、まずこれまでの事業を振り返り、それを生み出したものへと立ち返るのは、実に当然のこと・・・そう、受け止めていたからなのだろうと思います。


さて、実際にそれに着手したところ、創業から十数年間にわたる、事業の移り変わりを確かめること自体は、容易でした。

しかしそれだけでは、それらの事業が“なぜ、成立したのか”は、説明がつきません。

そこで、各時代の“ビジネスのモデル”が生まれた、背景の理由へと目を向けた時、そこには当時の「考え方や動き方に関する、筋道の傾向性」というものが、浮かび上がってきました。

それは“ビジネスのウェイ”とも呼べる、次元の発見でありました。

更に、それらのウェイが生まれた理由を見つめたところ、あらゆる思考や行動の可能性から、あえて「その筋道を選び取った信条」である“ビジネスのポリシー”の次元が、見えてきました。

そしてこの探求は、そのポリシーを生みだした根源・・・つまり、社会と事業と人生において、尊ぶべきものは何かという「価値判断の拠り所」である“ビジネスのフィロソフィー”の次元へと、たどり着いていくのでした。


「我われはどこから来たのか・・・」

単に、これまで歩んだ道を辿るだけでは、この問いに対する答えは導けませんでした。

しかし、いみじくもあのゴーギャンが遺した“I shut my eyes in order to see.”(私は本質を見つめるために、この目を閉じる)との一節が示唆する通りに、激しく変化する“表層”の背景にある、目に見えない側面を見つめた時、そこには、ゆるやかな“深層”の流れと言うべきものが、歴然と存在していたのです。


20世紀最大の歴史家と言われた、A・J・トインビーは「窮極において歴史を作るもの」とは、歴史の表面に表れない「水底のゆるやかな動き」に他ならないと、結論づけています。

世界の広がりから見れば、一つの企業とは限りなく微小な存在です。

ただし、その小世界であっても、これまでの歩みの背景を垣間見た時、私は、トインビーが指し示そうとしたであろう、歴史を作るものに触れた感覚と共に、先の本源的な問いに対する答えへと、たどり着いた感覚を得たのでありました。


─── そして、それと同時に、この会社の深層の流れを決定づけた、ある一人の人物の存在が、浮かび上がってきたのです。

≪つづく≫

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