MENU

社長コラム

ロケット雲を仰いだ日

創業から十数年間の、事業変遷の背景にある「水底のゆるやかな動き」を見つめる時、その流れを決定づけた人物の存在が、浮かび上がってきます。

それは当社の初代社長である、竹野輝之(たけの てるゆき)です。

竹野は1953年、東京・蒲田にて、父・三郎、母・さくの間に、年の離れた兄と姉に続き、三人兄弟の末っ子として生まれました。


日立製作所の亀戸工場に勤務し、技術者として橋梁の設計を担っていた父・三郎は、戦後間もなく、まだ30代前半の若き日に会社を退き、それまで自分が趣味としていた汽車や列車などのミニチュア鉄道模型づくりを、本業として歩み始めました。

アメリカから取り寄せる、一枚の鉄道写真を手がかりに、真鍮の板やワイヤーを用い、個々の部品から作り出す製法・・・いわゆるフルスクラッチによって、Nゲージ等の模型が完成していく様子を、少年は驚きの瞳で見つめたことでしょう。

当時、三郎の作品のクオリティは大変高く評価されており、銀座の天賞堂や、横浜・関内のトビー模型店等との取引きを通じて、彼の名は国内のみならず国外にまで馳せていました。


ある日、東京・蒲田の竹野宅に、海外からある客人が訪れます。

当時、おそらく日本の文化を、未だよく理解していなかったその人が、玄関から土足のまま居間まで上がってきたことだけを、輝之は鮮明に記憶しています。

そして後日、兄から、あの時の客人とは、ウォルト・ディズニー(1901-1966)、その人であったと聞かされます。

輝之は「極めて、不確かな情報だ」と述懐しますが、兄によれば、三郎の作品を目の当たりにしたディズニーが、その卓越した腕を見込んで、訪日の際、スカウトのために自ら足を運んだのだ、とのことでありました。

しかし、結果的に三郎は、このディズニーからの要請を退けて、それまでと変わらぬ独立自営の道を選ぶのでした。


一方、母・さくは、亀戸駅前の飲食店・吉岡屋の、5人兄弟の長女として生まれました。

三郎が工場で働いていた頃、定食を食べにこの店へと通ううち、そこで働く、さくと顔なじみになったのが二人の馴れ初めでした。

終戦から間もない二人の暮らしに、贅沢するゆとりなどはありません。

しかし、さくは妻として、職人気質の三郎を支えながら、慎ましく、また辛抱強く生活をやり繰りしていきました。

ある日、技術家庭の授業で皆が自宅のアイロンを持参した日、多くの生徒の机には真新しい品が並ぶ中、輝之が持参したものだけはとても年季の入った旧式のアイロンでした。

それに気づいた先生が、「竹野君のお母さんは、本当に偉い人なんだなぁ」と、古きものを大切にし続ける姿勢を称えていた日のことを、今でも輝之は印象深く留めています。

そしてまた、困っている人を見ると決して放っておけないのが、さくの気性でもありました。

突然のにわか雨に打たれながら家路を急ぐ高校生たちには、家のありったけの傘を手渡し、また、近所に下宿していた留学生が病気になった時には、彼を自転車の後ろに乗せて病院へと走る・・・そんな、人への献身を惜しまぬ姿勢がそこにはあったのです。


輝之が小学校1年生の時、竹野家は千葉・稲毛の地へと引っ越しますが、新居の近くにあったのは、後に千葉大学の西千葉キャンパスとなる広大な雑木林でありました。

言うまでもなく、それは輝之にとって申し分のないサイズの“庭”でした。

毎日、鬱蒼とした林に分け入り、沼でカエルをつかまえては遊び、野生のアケビを採っては食べ、そこかしこに秘密基地をつくる・・・こうした豊かな自然との関わりを通じて、彼の土台は築かれていきました。

雑木林に隣接した、東京大学生産技術研究所の敷地内では、後に宇宙工学の父と呼ばれる糸川英夫教授が、小型ロケットの打ち上げ実験をしています。

木々のすきまから見える青空に、白い噴煙の軌跡を残して、天高く昇っていくロケットは、輝之が少年の日に刻んだ一つの原風景であったのでしょう。

≪つづく≫

最新の社長コラム

2017年4月5日
禁断の問い

夕暮れの、大阪・中ノ島。

2017年3月14日
人生のテスト

薦められるがままに、彼はその会社の門を叩きました。

2017年2月14日
多湖先生との再会

会社を立ち上げてから5年。

2016年12月13日
竹野の一代記を描いて

どうか、大仰にはしないでくれ・・・

2016年10月25日
挑戦と応戦

思いもかけなかった、一本の電話。

2016年9月13日
青天の霹靂

レストランでの語らいから、数日後。

2016年8月18日
三島をめぐる語らい

実に宿縁深き、この街。

2016年7月19日
運命のクロス

彼は、影の画策に憤っていました。

2016年6月28日
頂上作戦

頂上作戦の、機は熟しました。

2016年5月27日
へりくだらなくてよい価値

彼は、データを凝視していました。

2016年5月27日
欧州に翔ぶ(後)

輝之の眼差しに、ロパッソは思います。

2016年3月15日
欧州に翔ぶ(前)

1985年の年初。欧州に向う機中で、輝之は熟考を重ねていました。

2016年2月25日
「心に残る一節」という名の会社

社会の扉の前に立った、輝之の心を巡るもの。

2015年11月25日
成長の熱源

果たして、上田薫氏は“研究者”だったのか? それとも“教育者”だったのか?

2015年10月27日
恩師の薫陶

研究室の一員となった輝之を待ち受けていたのは、あらゆる話し合いの場における、上田先生からの“質問”でした。

2015年9月29日
哲学の師を求めて

教育の道を志して、千葉大学・教育学部に入学した輝之。

2015年8月18日
流れに抗う選択

幕末の志士・高杉晋作が詠んだと言われるこの句を、これまで輝之は、事あるごとに引用してきました。

2015年7月22日
数学教師のロマン

中学に進学した輝之に、最も大きい影響を与えたのは、またしても、ある教師との出会いでした。

2015年6月23日
二つの事件

竹野家が、千葉・稲毛の地に引越した後、輝之は夏休み明けの二学期から、市内の小学校に通い始めます。

2015年5月26日
ロケット雲を仰いだ日

創業から十数年間の、事業変遷の背景にある「水底のゆるやかな動き」を見つめる時、その流れを決定づけた人物の存在が、浮かび上がってきます。

2015年4月22日
すべての営みの出発点

当社のメルマガ創刊より、一年が経ちました。

2015年3月24日
パリが“花の都”である理由

フェイスブックのウォールを賑わせていた、学生たちの卒業旅行の季節も、終わりに近づきました。

2015年2月24日
能楽堂と「鏡の間」

昨年の暮れ、渋谷区松濤の観世能楽堂を訪れました。

2015年4月22日
1985年の年初。

欧州に向う機中で、輝之は熟考を重ねていました。

2014年12月19日
私の就職活動

今から20年前の‘94年の春、大学の研究室にいた私は、卒業を一年後に控えていました。

2014年11月19日
人と組織のファクトに向き合って

本年の9月、朝日新聞のコラムで、星浩(ほしひろし)特別編集委員が、政治記者の先輩であった、故・石川真澄氏の言葉を、引用しています。

2014年10月15日
“神が宿る細部”を求めて

先日、元サッカー日本代表監督・岡田武史氏の講演を伺いました。

2014年9月17日
「ニーバーの祈り」に託されたもの

今年の年初、心理学者であるA・アドラーの思想に基づいて綴られた一冊が、友より贈られました。(『嫌われる勇気』ダイヤモンド社)

2014年8月26日
恩師と夏の日

こうした仕事をしていると、よく「会社の皆さんは、心理学や統計学のご出身ですか?」と聞かれます。

2014年7月24日
ブラジルW杯の閉幕に思う

南米開催における、初の欧州国・ドイツの優勝をもって、サッカーW杯・ブラジル大会は幕を閉じました。

2014年6月23日
定説を排して見えるもの

その朝、大連の街は、マイナス15度の冷気に包まれていました。

2014年5月20日
林知己夫先生と三代の系譜

振り返れば、かけがえのない出会いがあります。

2014年4月25日
eFの活動:創刊の挨拶

皆さま、こんにちは。 イー・ファルコンの志村です。

「全ての営みの出発点」新着の社長コラム

2017年4月5日
禁断の問い

夕暮れの、大阪・中ノ島。

2017年3月14日
人生のテスト

薦められるがままに、彼はその会社の門を叩きました。

2017年2月14日
多湖先生との再会

会社を立ち上げてから5年。

2016年12月13日
竹野の一代記を描いて

どうか、大仰にはしないでくれ・・・

2016年10月25日
挑戦と応戦

思いもかけなかった、一本の電話。

2016年9月13日
青天の霹靂

レストランでの語らいから、数日後。

2016年8月18日
三島をめぐる語らい

実に宿縁深き、この街。

2016年7月19日
運命のクロス

彼は、影の画策に憤っていました。

2016年6月28日
頂上作戦

頂上作戦の、機は熟しました。

2016年5月27日
へりくだらなくてよい価値

彼は、データを凝視していました。

2016年5月27日
欧州に翔ぶ(後)

輝之の眼差しに、ロパッソは思います。

2016年3月15日
欧州に翔ぶ(前)

1985年の年初。欧州に向う機中で、輝之は熟考を重ねていました。

2016年2月25日
「心に残る一節」という名の会社

社会の扉の前に立った、輝之の心を巡るもの。

2015年11月25日
成長の熱源

果たして、上田薫氏は“研究者”だったのか? それとも“教育者”だったのか?

2015年10月27日
恩師の薫陶

研究室の一員となった輝之を待ち受けていたのは、あらゆる話し合いの場における、上田先生からの“質問”でした。

2015年9月29日
哲学の師を求めて

教育の道を志して、千葉大学・教育学部に入学した輝之。

2015年8月18日
流れに抗う選択

幕末の志士・高杉晋作が詠んだと言われるこの句を、これまで輝之は、事あるごとに引用してきました。

2015年7月22日
数学教師のロマン

中学に進学した輝之に、最も大きい影響を与えたのは、またしても、ある教師との出会いでした。

2015年6月23日
二つの事件

竹野家が、千葉・稲毛の地に引越した後、輝之は夏休み明けの二学期から、市内の小学校に通い始めます。

2015年5月26日
ロケット雲を仰いだ日

創業から十数年間の、事業変遷の背景にある「水底のゆるやかな動き」を見つめる時、その流れを決定づけた人物の存在が、浮かび上がってきます。

2015年4月22日
すべての営みの出発点

当社のメルマガ創刊より、一年が経ちました。

2015年3月24日
パリが“花の都”である理由

フェイスブックのウォールを賑わせていた、学生たちの卒業旅行の季節も、終わりに近づきました。

2015年2月24日
能楽堂と「鏡の間」

昨年の暮れ、渋谷区松濤の観世能楽堂を訪れました。

2015年4月22日
1985年の年初。

欧州に向う機中で、輝之は熟考を重ねていました。

2014年12月19日
私の就職活動

今から20年前の‘94年の春、大学の研究室にいた私は、卒業を一年後に控えていました。

2014年11月19日
人と組織のファクトに向き合って

本年の9月、朝日新聞のコラムで、星浩(ほしひろし)特別編集委員が、政治記者の先輩であった、故・石川真澄氏の言葉を、引用しています。

2014年10月15日
“神が宿る細部”を求めて

先日、元サッカー日本代表監督・岡田武史氏の講演を伺いました。

2014年9月17日
「ニーバーの祈り」に託されたもの

今年の年初、心理学者であるA・アドラーの思想に基づいて綴られた一冊が、友より贈られました。(『嫌われる勇気』ダイヤモンド社)

2014年8月26日
恩師と夏の日

こうした仕事をしていると、よく「会社の皆さんは、心理学や統計学のご出身ですか?」と聞かれます。

2014年7月24日
ブラジルW杯の閉幕に思う

南米開催における、初の欧州国・ドイツの優勝をもって、サッカーW杯・ブラジル大会は幕を閉じました。

2014年6月23日
定説を排して見えるもの

その朝、大連の街は、マイナス15度の冷気に包まれていました。

2014年5月20日
林知己夫先生と三代の系譜

振り返れば、かけがえのない出会いがあります。

2014年4月25日
eFの活動:創刊の挨拶

皆さま、こんにちは。 イー・ファルコンの志村です。

  • 社長コラムTOP
  • インサイトTOPへ

お問い合わせはこちら

CONTACT US
株式会社イー・ファルコン コーポレートサイトPAGETOP

© e-Falcon Co.,Ltd All Rights Reserved.