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社長コラム

数学教師のロマン

中学に進学した輝之に、最も大きい影響を与えたのは、またしても、ある教師との出会いでした。

二年と三年における、数学を専門とするクラスの担任は、実に怖い先生でした。

その担任いわく、「お前らは、バカなんだ!」と。

しかし、その苛烈な表現の後に、こう続きます。

「この世の中に、頭がいいやつなんていないんだ! だから大事なのは、自分がバカであるということを、自覚してやることなんだ」

そして「自分が、バカであるってことが分かったら、凄いことになるんだ! 分かるかっ? このぉ~、ポコペンっ!!」

・・・こう言いながら、生徒たちのおでこを、コツンっとデコピンして回る、この“ポコペン先生”は、いつも辛口であり、その表現はネガティブトーンでありました。しかし、彼が発する言葉には、常に筋というものが通っていました。

そして何より、そこには愛情に裏打ちされた、温かみというものが感じられました。

だからクラスの皆は、このポコペン先生の言葉に、いつも真剣に耳を傾けるのでした。


三年生の二学期における、ある数学の授業のことです。

ポコペン先生より、この科目を得意とする、輝之を含めた数名の生徒に対して「先生役になって、授業をやってみたらどうか?」との、提案がありました。

さっそく、授業を担当することになった生徒が集まって、作戦会議が始まります。

大舞台への指名に、互いにプレッシャーを感じながら、「どうせやるなら、クラスの皆をアッと言わせる授業をやりたい・・・」と、議論が白熱していきます。

─── 自分たちが担当する単元は、言うまでもなく、クラスの皆にとって、はじめて垣間見ることばかりである。

それでは、皆がまだ知らないことを、教えて分からせるには、どうすればよいのか?

そもそも人が、分かっていないことを、分かるようになるには、すでに分かっていることを手がかりにして、まだ分かっていない世界へと、入っていく以外にないのではないか ───


ついに迎えた、授業の当日。

教壇で、緊張の汗をびっしょりとかきながら、何とかやり終えた授業。

クラスの皆から「おいっ、すごく分かりやすかったよ!」声をかけられて、やっと安堵の気持ちと、爽やかな達成感が込み上げてくるのでした。


生徒たちの高校受験が近づく中、それは先生にとっても、大いなる挑戦であったことでしょう。

しかし、生徒たちの主体性と創意を信じて行われた、その授業の学習効果は絶大でした。

─── 既知の概念を手がかりに、未知の概念を教えるという行為は、何よりもまず、教えようとする者自身が、自分の分かっていることと、分かっていないことを、丹念に認識することから始まる。

つまり、他者に“教える”ことは、自らが“学ぶ”ことができる、最高の機会である ───

このことを、輝之は、多感な心へと刻み込むのでありました。


結果的に、彼は中学を卒業した春休みの段階で、高校の最初の一年間で学ぶべき数学の範囲を、すでにマスターしていたと共に、そこから始まる高校と大学2年までの、全ての数学のテストで、一度も90点を下回ることがない学力を、身につけることになります。


当時を回想して、輝之は言います。

「ともすれば、生徒の顔色を見て、おもねる教師が少なくない中で、ポコペン先生には、決してブレない何ものかがあった。

一見、乱暴にも聞こえる、それらの言々句々には、不思議と“品位”や“透明感”というものが感じられた。

誤解を恐れることなく、ああいったスタンスで、生徒たちと向き合い続けるということは、ある種の“ロマン”とも言うべきものを抱く人にしか、できないようことのように思える」と。


かつて、小学校での“ふたつの事件”との遭遇と共に、この中学校での体験を通じて、輝之の心には、いつしか「将来、教育の道を歩みたい」という志が、宿り始めていました。

・・・しかしこの時、彼にとって青春の苦闘の日々が、すぐそこにまで近づいていたのです。

≪つづく≫

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