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社長コラム

哲学の師を求めて

教育の道を志して、千葉大学・教育学部に入学した輝之。

彼の心には、あの受験の時、病との格闘を通じて宿った“何物か”がありました。

あれ以来・・・不思議にも、自分の元気の源泉となっている、この“何物か”の実態は、いったい何なのか? どうしても、それをつかみたいとの思いが止まず、古今の哲人たちの思索に、手がかりを求めていきます。

キルケゴールの『死にいたる病』、ニーチェの『超人』に始まり、サルトル、ハイデガー、ショーペンハウアー、ボーボワール等を、次々と読破します。

取り分け、彼は“実存主義”に惹かれていきます。

「人間とは、○○という存在である」と言ったように、対象を概念で捉えようとする“本質主義”ではなく、今ここにいる「私」や「自分の実感」といった、具体的で個別的な“実存”、すなわち「現実存在」を重んじる哲学を通じて、自らの内面を見つめていったのでしょう。

一年間で100冊余りの書籍を読了しつつ、現役の著者たちには、質問状を書いて送る日々でした。


ある日、自宅の電話が鳴ります。

父「お~い、“ナガイミチオ”って人から、でんわ~っ」

輝之「えーっ? 知らねぇ~なぁ~っ!」

電話に出ると、その相手は教育社会学者であり、三木内閣・文部大臣である、永井道雄氏でした。

「ちょっと時間がないので、電話で失礼しますが、あなたがお手紙でご質問になった○○についてはですね・・・」と、時の大臣が、電話口で語り始めるのでした。


またある日、ポストに届いた一通の手紙。

それは、哲学者・西田幾多郎の実孫であり、教育哲学者である、上田薫(うえだかおる)氏からでした。

氏の著書に、いたく感動して綴った手紙・・・返書の封を切ってみると「あなたは、まだ質問できるレベルに至っていません」と。

そして「あなたの意図は推察するけれども、まずは、この本とこの本をしっかり読んで整理した上で、もう一回質問してきて下さい」と、ありました。


こうしたやりとりを通じて、彼は思います。

「自著への質問に対して、そこまでやるのか?!

ハッキリ言って、その説が正しいとか、凄いとか、未熟な自分にはまだ分からない。

しかし、たとえ相手が一介の学生でも、こうして責任を持って応じる姿勢こそが、すでに本物である証しではなかろうか」

いつしか彼の中には、こうした一流の人物の下で自分を磨き、教育者としての基礎を築きたいとの願いが、募り始めていました。

そして、卒業まであと一年と迫った頃、いつか返書を受け取った、あの上田薫先生に師事しようと、立教大学・大学院への挑戦を決意します。

この年、上田研究室の枠は実に4席。

しかも、その内の二席は立教大学生のための内部枠であり、残りの外部枠の二席を、他大学の出願者が争います。


試験当日、初めて降り立った池袋駅。

目指す会場は、駅の“西口”方面に位置する立教大学です。

改札を出ると、ターミナルの東西に隣接する「西武百貨店」と「東武百貨店」の看板が、目に入りました。

その瞬間・・・彼は「西にあるのが“西武”であり、東にあるのが“東武”だろう」と思い込みます。

そして、何ら疑いを抱かぬまま、西武百貨店側へとコンコースを抜け、西口方面にあるはずの会場を目指すのでした。

しかし、やがてそれが己の勘違いであり、東口方面だったと気づいた彼は、いま来た道を大急ぎで引き返します。

会場へ到着したのは、筆記テスト開始から既に18分が経過した時・・・あと2分で、入室が禁止となるところでした。

それでも、何とか時間内に回答を終えた彼は、午後の口頭試問に臨みます。

穏やかな雰囲気を湛えた、初老の面接官。

それが、上田薫先生と初めて対面した瞬間でありました。


結果、出願倍率が50倍にも上ったこの狭き門を、彼は突破することになります。

そして、迎えた春。

上田研究室の一員となった彼を待っていたもの・・・それは、あの初対面のムードとは異なる、大変厳しい薫陶の日々でありました。

≪つづく≫

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