MENU

社長コラム

林知己夫先生と三代の系譜

振り返れば、かけがえのない出会いがあります。

その一人が、統計学者・林知己夫(はやし ちきお)先生です。


まだ私が就職して間もない1995年、顧問の多湖輝先生に取り計らい頂き、渋谷の事務所に伺ったのが、林先生との最初の出会いでした。

この日、我々が持参したのは、あるマーケティングの分析レポート。そして、その中で駆使する分析手法は・・・他でもなく、目の前におられる林先生が編み出されたものでした。


林知己夫先生は、1918年(大正7年)生まれ。東京大学理学部数学科を卒業後、戦後間もない1946年、統計数理研究所に入所されます。

そこで先生は、元来、数値で表すことが困難な、市場動向や社会世論等、“質の世界”を数量化し、計量的に解明する「数量化理論」を開発。以降、それは“林の数量化理論”として、広く知られることとなります。

また1953年からは、国民性調査を通じて、世界にも例を見ない50年にわたる継続調査を実現し、社会調査法の発展に著しい貢献をなされます。

そして1974年、日本の統計研究の中核的機関である、統計数理研究所の所長へ就任。 さらに90年代において「データの科学(Data Science)」を提唱なさっていた先生は、既に“世界のHAYASHI”であられました。


当時、まだ若かった我われにとり、先生に直接ご指導頂けることは、大きな喜びであると同時に、緊張の場面でもありました。

しかし先生は終始、柔和な微笑みを湛えながら、我われの分析の取り組みに、丁寧に眼を通され、種々の助言を下さいました。

そして最後に「対象をいかなる側面で評価するのか、その設計が大切だよ。それで、全てが決まるよ・・・」と。


それまでの“理論によって世界を理解する”という、従来の科学のアプローチに対して、林先生は、複雑で多様な現実の諸要素を受け止めながら、その全体と本質に迫る方法を築き上げ、また自らも実践なさいました。

そうした意味からも、先生のご功績とは、“データによって世界を理解する”という、新たな科学の時代への扉を、押し開けられたことにあったと思います。


この日を契機に、ご逝去までの最晩年の7年間を、当社の顧問としてご指導頂くこととなります。

当社が、企業の人事活動の支援において「活躍する人材の要件」や「人が人を評価する根拠」等、漠として曖昧な対象へ迫るために、キメ細かな測定測度を持ったアセスメントを開発したのも、その先生の教えに則ったものです。


こうした林先生のご活動は、後継である同志社大学・村上征勝(むらかみ まさかつ)教授へと、応用・発展されながら受け継がれ、さらには村上先生の後継である、同大学・鄭躍軍(てい やくぐん)教授へと継承されています。

2009年、村上先生と鄭先生が中心となって設立された「同志社大学 東アジア総合研究センター」は、EUや北米に比肩し、世界の一極足るべき東アジアの諸国に、互いの理解と協力を深めさせゆくことを目的としています。

それは、林先生が生前「データの科学によって、計量的な文明比較が可能になり、国際相互理解が促進される。そして、そこに多くの人々が集まり、世界平和の拠点が創出される」と語っておられた、その師匠の構想を、“直弟子と孫弟子”が実現しゆく活動と言えるのでしょう。

そして今夏、東京・大阪での当社主催の人事セミナーにて「東アジア諸国における採用の現状と課題」と銘打ち、同センター長である鄭先生に、ご講演頂くことになっています。


ある識者、曰く「おおよそ三代が、先人の業績を踏まえつつ、同じ系譜の上で、自分自身の創造的努力を積み重ねることによって、巨大な生命力をもった思想が形成されていく」と・・・。

林先生、ご逝去より12年。

我われの歩みが、こうした三代にわたる叡智の系譜に支えられてきたことを思う度、感謝の思いが涌き出ると共に、あの温和な林先生の微笑が、今も胸に蘇ってきます。

最新の社長コラム

2017年4月5日
禁断の問い

夕暮れの、大阪・中ノ島。

2017年3月14日
人生のテスト

薦められるがままに、彼はその会社の門を叩きました。

2017年2月14日
多湖先生との再会

会社を立ち上げてから5年。

2016年12月13日
竹野の一代記を描いて

どうか、大仰にはしないでくれ・・・

2016年10月25日
挑戦と応戦

思いもかけなかった、一本の電話。

2016年9月13日
青天の霹靂

レストランでの語らいから、数日後。

2016年8月18日
三島をめぐる語らい

実に宿縁深き、この街。

2016年7月19日
運命のクロス

彼は、影の画策に憤っていました。

2016年6月28日
頂上作戦

頂上作戦の、機は熟しました。

2016年5月27日
へりくだらなくてよい価値

彼は、データを凝視していました。

2016年5月27日
欧州に翔ぶ(後)

輝之の眼差しに、ロパッソは思います。

2016年3月15日
欧州に翔ぶ(前)

1985年の年初。欧州に向う機中で、輝之は熟考を重ねていました。

2016年2月25日
「心に残る一節」という名の会社

社会の扉の前に立った、輝之の心を巡るもの。

2015年11月25日
成長の熱源

果たして、上田薫氏は“研究者”だったのか? それとも“教育者”だったのか?

2015年10月27日
恩師の薫陶

研究室の一員となった輝之を待ち受けていたのは、あらゆる話し合いの場における、上田先生からの“質問”でした。

2015年9月29日
哲学の師を求めて

教育の道を志して、千葉大学・教育学部に入学した輝之。

2015年8月18日
流れに抗う選択

幕末の志士・高杉晋作が詠んだと言われるこの句を、これまで輝之は、事あるごとに引用してきました。

2015年7月22日
数学教師のロマン

中学に進学した輝之に、最も大きい影響を与えたのは、またしても、ある教師との出会いでした。

2015年6月23日
二つの事件

竹野家が、千葉・稲毛の地に引越した後、輝之は夏休み明けの二学期から、市内の小学校に通い始めます。

2015年5月26日
ロケット雲を仰いだ日

創業から十数年間の、事業変遷の背景にある「水底のゆるやかな動き」を見つめる時、その流れを決定づけた人物の存在が、浮かび上がってきます。

2015年4月22日
すべての営みの出発点

当社のメルマガ創刊より、一年が経ちました。

2015年3月24日
パリが“花の都”である理由

フェイスブックのウォールを賑わせていた、学生たちの卒業旅行の季節も、終わりに近づきました。

2015年2月24日
能楽堂と「鏡の間」

昨年の暮れ、渋谷区松濤の観世能楽堂を訪れました。

2015年4月22日
1985年の年初。

欧州に向う機中で、輝之は熟考を重ねていました。

2014年12月19日
私の就職活動

今から20年前の‘94年の春、大学の研究室にいた私は、卒業を一年後に控えていました。

2014年11月19日
人と組織のファクトに向き合って

本年の9月、朝日新聞のコラムで、星浩(ほしひろし)特別編集委員が、政治記者の先輩であった、故・石川真澄氏の言葉を、引用しています。

2014年10月15日
“神が宿る細部”を求めて

先日、元サッカー日本代表監督・岡田武史氏の講演を伺いました。

2014年9月17日
「ニーバーの祈り」に託されたもの

今年の年初、心理学者であるA・アドラーの思想に基づいて綴られた一冊が、友より贈られました。(『嫌われる勇気』ダイヤモンド社)

2014年8月26日
恩師と夏の日

こうした仕事をしていると、よく「会社の皆さんは、心理学や統計学のご出身ですか?」と聞かれます。

2014年7月24日
ブラジルW杯の閉幕に思う

南米開催における、初の欧州国・ドイツの優勝をもって、サッカーW杯・ブラジル大会は幕を閉じました。

2014年6月23日
定説を排して見えるもの

その朝、大連の街は、マイナス15度の冷気に包まれていました。

2014年5月20日
林知己夫先生と三代の系譜

振り返れば、かけがえのない出会いがあります。

2014年4月25日
eFの活動:創刊の挨拶

皆さま、こんにちは。 イー・ファルコンの志村です。

「月々・日々の雑記」新着の社長コラム

2017年4月5日
禁断の問い

夕暮れの、大阪・中ノ島。

2017年3月14日
人生のテスト

薦められるがままに、彼はその会社の門を叩きました。

2017年2月14日
多湖先生との再会

会社を立ち上げてから5年。

2016年12月13日
竹野の一代記を描いて

どうか、大仰にはしないでくれ・・・

2016年10月25日
挑戦と応戦

思いもかけなかった、一本の電話。

2016年9月13日
青天の霹靂

レストランでの語らいから、数日後。

2016年8月18日
三島をめぐる語らい

実に宿縁深き、この街。

2016年7月19日
運命のクロス

彼は、影の画策に憤っていました。

2016年6月28日
頂上作戦

頂上作戦の、機は熟しました。

2016年5月27日
へりくだらなくてよい価値

彼は、データを凝視していました。

2016年5月27日
欧州に翔ぶ(後)

輝之の眼差しに、ロパッソは思います。

2016年3月15日
欧州に翔ぶ(前)

1985年の年初。欧州に向う機中で、輝之は熟考を重ねていました。

2016年2月25日
「心に残る一節」という名の会社

社会の扉の前に立った、輝之の心を巡るもの。

2015年11月25日
成長の熱源

果たして、上田薫氏は“研究者”だったのか? それとも“教育者”だったのか?

2015年10月27日
恩師の薫陶

研究室の一員となった輝之を待ち受けていたのは、あらゆる話し合いの場における、上田先生からの“質問”でした。

2015年9月29日
哲学の師を求めて

教育の道を志して、千葉大学・教育学部に入学した輝之。

2015年8月18日
流れに抗う選択

幕末の志士・高杉晋作が詠んだと言われるこの句を、これまで輝之は、事あるごとに引用してきました。

2015年7月22日
数学教師のロマン

中学に進学した輝之に、最も大きい影響を与えたのは、またしても、ある教師との出会いでした。

2015年6月23日
二つの事件

竹野家が、千葉・稲毛の地に引越した後、輝之は夏休み明けの二学期から、市内の小学校に通い始めます。

2015年5月26日
ロケット雲を仰いだ日

創業から十数年間の、事業変遷の背景にある「水底のゆるやかな動き」を見つめる時、その流れを決定づけた人物の存在が、浮かび上がってきます。

2015年4月22日
すべての営みの出発点

当社のメルマガ創刊より、一年が経ちました。

2015年3月24日
パリが“花の都”である理由

フェイスブックのウォールを賑わせていた、学生たちの卒業旅行の季節も、終わりに近づきました。

2015年2月24日
能楽堂と「鏡の間」

昨年の暮れ、渋谷区松濤の観世能楽堂を訪れました。

2015年4月22日
1985年の年初。

欧州に向う機中で、輝之は熟考を重ねていました。

2014年12月19日
私の就職活動

今から20年前の‘94年の春、大学の研究室にいた私は、卒業を一年後に控えていました。

2014年11月19日
人と組織のファクトに向き合って

本年の9月、朝日新聞のコラムで、星浩(ほしひろし)特別編集委員が、政治記者の先輩であった、故・石川真澄氏の言葉を、引用しています。

2014年10月15日
“神が宿る細部”を求めて

先日、元サッカー日本代表監督・岡田武史氏の講演を伺いました。

2014年9月17日
「ニーバーの祈り」に託されたもの

今年の年初、心理学者であるA・アドラーの思想に基づいて綴られた一冊が、友より贈られました。(『嫌われる勇気』ダイヤモンド社)

2014年8月26日
恩師と夏の日

こうした仕事をしていると、よく「会社の皆さんは、心理学や統計学のご出身ですか?」と聞かれます。

2014年7月24日
ブラジルW杯の閉幕に思う

南米開催における、初の欧州国・ドイツの優勝をもって、サッカーW杯・ブラジル大会は幕を閉じました。

2014年6月23日
定説を排して見えるもの

その朝、大連の街は、マイナス15度の冷気に包まれていました。

2014年5月20日
林知己夫先生と三代の系譜

振り返れば、かけがえのない出会いがあります。

2014年4月25日
eFの活動:創刊の挨拶

皆さま、こんにちは。 イー・ファルコンの志村です。

  • 社長コラムTOP
  • インサイトTOPへ

お問い合わせはこちら

CONTACT US
株式会社イー・ファルコン コーポレートサイトPAGETOP

© e-Falcon Co.,Ltd All Rights Reserved.