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社長コラム

「心に残る一節」という名の会社

社会の扉の前に立った、輝之の心を巡るもの。


あの、幼少の日に刻まれた違和感の理由を解き明かし、あるべき教育の姿を実現したいとの願いに導かれながら、哲学の師の門を叩いた彼は、その膝下で教えの本質へと迫っていきました。

そこで見出したのは「こうであるに違いない」あるいは「こうであって欲しい」といった、心の筋道である“自分の文脈”と、“眼前の現実”との間に生じる「ズレ」を正視しながら、それを熱源に換えて、教育者自身が変わり続ける・・・そこにこそ、はじめて子どもが変わる可能性が開けるという、極めて実践的な哲学でした。

彼は、思索します。

「社会に目を向けてみれば、自分の文脈に合うものだけを選び取り、自分は変わらずに相手だけが変わるという“快”を求めようとする一方、自分の文脈に合わないものと関わり、自分が変わることを強いられる“不快”を、疎んじようとする。

この“快”のみを指向する時代の流れは、押しとどめようもないだろう。

しかし、このように不快というものを遠ざけ、快のみに執着する生き方は、葛藤や熟慮といった機会を逸することとなり、結果的に、自分の中に引き起こされる気づきや、生きているという確かな手ごたえを、失わせてしまうものでもある。

こうした状況に対して我が師は、社会の活力を維持・発展させるためには、その不快を取り除くのではなく、むしろ取り入れていく必要性を説かれた。

そしてその教えは、“流れに委ねる生き方”を捨て去り、あえて苦難に満ちた“流れに抗う生き方”を選び取った、かつての自分の歩みが、決して間違っていなかったという、内なる確信を与えてくれるものであった」


彼は、胸に問います。

「この確信という、社会への跳躍台を与えてくれた師との出会い。それでは、これからこの師の恩に報いていく舞台は、果たして“狭義の教育”の世界の中だけであって良いものなのか?

師の教えが、普遍妥当性を持つならば、単に教育の世界に留まらず、社会のいかなる分野においても、優れた人材の輩出が可能となるに違いない」・・・この結論に至った時、彼にはあらゆる事象が刻々と変化していく世界が、新たな価値を創造していける、果てしない地平に見えたことでしょう。

こうして遂に彼は、師の真価をこの広い社会において、証明しようとの決意に立つのでした。


ところが現実に帰ってみれば、教師の道を目指して、教職免許こそ取得していたものの、それ以外の就職活動をやっていなかった彼は、民間企業への進路など持ち合わせてはいません。

しかし、そんな意思と境遇を知り、彼を応援しようとする人たちが現れます。

その一人で、大学時代から世話になっており、台東区・東上野の商事会社に勤務する先輩から、一つの誘いを受けます。

「うちの会社の、貿易の人脈やブランドを使って、海外文具の輸入をやってみないか?」

それは、思いもよらず訪れた“起業の機会”でした。


文具の海外輸出を手がけている、この会社の文具のブランドは“Citation”(シタシオン)・・・フランス語読みさせている、この言葉の意味をひも解いてみると“心に残る一節”とありました。

このブランドの名が、彼の心に留まります。

事業を通じて得る確かな実感に基づいて、これから出会う一人ひとりの心に、忘れ得ぬ一節を残していく・・・そうした願いが託せる名であると、感じたのでした。

「はじめの一歩は、いかなる場所であってもよい。この機会をありがたく受け止め、そこから自分が願い描く世界を実現していこう」


こうして1985年2月19日、株式会社シタシオンジャパンが産声をあげました。

それは、先輩が勤める会社の一角に、デスク一個分を間借りしての出発でした。


そして、この創業に先んじた一ヶ月前、成田発・欧州行きの機中に、彼の姿はありました。

海外の有力な文具メーカーとの、輸入販売に関する契約交渉のため、彼はイタリア・ミラノへと、その第一歩を記していたのです。

≪つづく≫

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