MENU

社長コラム

欧州に翔ぶ(前)

1985年の年初。

欧州に向う機中で、輝之は熟考を重ねていました。

周囲からの応援に支えられ、文具の輸入・販売業の道へと進んだ彼は、優れたデザインを供給する海外メーカーと契約を結ぶため、ヨーロッパ各地で開催される文具・雑貨フェアへ赴いたのでした。

そこで一定の契約金を積み、メーカーとのソール・エクスクルーシブ(総販売代理契約)を締結できれば、日本における実質的な価格決定権を得ることになります。

しかし、複数企業が権利を分け合う並行輸入になると、薄利多売が可能となる大手の商社や販社に比べ、圧倒的に不利となることは明らかです。

先輩の商事会社から出資された300万円のうち、今回の遠征で用いることができるのは150万円。これで、イタリアの「キビカート」、フランスの「シッパ」、そしてドイツの「フランクフルトフェア」と呼ばれる3つのフェアにおいて、意中のメーカーとの契約をいかに勝ち取るか・・・彼の意識は、研ぎ澄まされていきました。

ミラノ・リナーテ空港に降り立ち、ホテルへと向かうタクシーの車窓には、晴れ渡る冬空の下、遥かに望むアルプス山脈を背にした、石造りの街並みが映えます。

当時を回想して、彼は語ります。

「何とかしなくちゃ、という重圧はあった。

しかし、それは悲壮感ではなく、懸命にやればきっと道は開けるだろうという思いであった。

そもそも、文具の業界を垣間見ることどころか、海外に出るのも、英語をしゃべるのも、全てが初めてのことばかり・・・この、ダメで元々の闘いにおいて、失うことを恐れるものなど、何もなかった」

そして、キビカートの当日。

彼が向かったのは、極めて斬新なデザインで名を馳せる、イタリアのデザインメーカー「パラフェルナリア」のブースでした。

当時の日本は、ちょうど“デザインブランド”という概念が成立してきた時代でした。それは、完成した商品のみならず、その背景や意図といった創造活動のアイデンティティにまで光が当たり始めた時であり、中でもこのパラフェルナリアは、優れたデザインを発信している一社でありました。

そのトップは、ロパッソ氏。

輝之がブースにたどり着いた時には、競合となるコクヨ、プラス、学研、サブヒロモリといった大手が、単独契約の獲得を目論み、氏との交渉を既に終えたところでした。

彼が、この一社に提示できる最大額は50万円・・・これに対して大手各社は、その数倍に上る価額を提示していることが想定されます。

ここから、彼の競合を覆す闘いが始まりました。

ロパッソに対して、彼は問いかけます。

「これまで交渉した会社の中で、実際に日本で営業する担当者が来たところは、あったのか?」

「いや、それはない。我々はあくまで、契約の担当者と交渉しているんだ」

年末から頭に叩き込んできた、英語・50文型を応用して彼は挑みます。

「そうか、分かった。

じゃあそれらの会社で、お前のところの商品を専門に扱う担当は、何人なんだ? またその人間の力がどのくらいなのか、確かめてみたのか?」

「いや、確かめてはいない」

このロパッソの答えに、彼は切り込みます。

「おいっ、そもそも販売契約というのは、大きな会社だとか小さな会社とかっていう問題じゃなく、いったい誰が、何人、お前の商品を真剣に売ろうとしているのか、その“専属性”で判断するものだろう。単なる社員数やカンバンではモノは売れないぞ・・・しかも、これってそもそも、極めて基本的なビジネスの議論じゃないか?」

たどたどしくも、諄々と説く彼に、ロパッソは耳を傾けます。

重ねて、彼は語ります。

「契約する相手の、担当者の顔や性格を知らないことは、後で必ず致命傷になるだろう。でも、シタシオンジャパンの場合は他でもない、この俺がやるんだ。だから、まず一年でいいからソール・エクスクルーシブをこちらに託してみろ・・・この俺は、お前を後悔させるようなことは決してしないからっ!」と。

≪つづく≫

最新の社長コラム

2017年4月5日
禁断の問い

夕暮れの、大阪・中ノ島。

2017年3月14日
人生のテスト

薦められるがままに、彼はその会社の門を叩きました。

2017年2月14日
多湖先生との再会

会社を立ち上げてから5年。

2016年12月13日
竹野の一代記を描いて

どうか、大仰にはしないでくれ・・・

2016年10月25日
挑戦と応戦

思いもかけなかった、一本の電話。

2016年9月13日
青天の霹靂

レストランでの語らいから、数日後。

2016年8月18日
三島をめぐる語らい

実に宿縁深き、この街。

2016年7月19日
運命のクロス

彼は、影の画策に憤っていました。

2016年6月28日
頂上作戦

頂上作戦の、機は熟しました。

2016年5月27日
へりくだらなくてよい価値

彼は、データを凝視していました。

2016年5月27日
欧州に翔ぶ(後)

輝之の眼差しに、ロパッソは思います。

2016年3月15日
欧州に翔ぶ(前)

1985年の年初。欧州に向う機中で、輝之は熟考を重ねていました。

2016年2月25日
「心に残る一節」という名の会社

社会の扉の前に立った、輝之の心を巡るもの。

2015年11月25日
成長の熱源

果たして、上田薫氏は“研究者”だったのか? それとも“教育者”だったのか?

2015年10月27日
恩師の薫陶

研究室の一員となった輝之を待ち受けていたのは、あらゆる話し合いの場における、上田先生からの“質問”でした。

2015年9月29日
哲学の師を求めて

教育の道を志して、千葉大学・教育学部に入学した輝之。

2015年8月18日
流れに抗う選択

幕末の志士・高杉晋作が詠んだと言われるこの句を、これまで輝之は、事あるごとに引用してきました。

2015年7月22日
数学教師のロマン

中学に進学した輝之に、最も大きい影響を与えたのは、またしても、ある教師との出会いでした。

2015年6月23日
二つの事件

竹野家が、千葉・稲毛の地に引越した後、輝之は夏休み明けの二学期から、市内の小学校に通い始めます。

2015年5月26日
ロケット雲を仰いだ日

創業から十数年間の、事業変遷の背景にある「水底のゆるやかな動き」を見つめる時、その流れを決定づけた人物の存在が、浮かび上がってきます。

2015年4月22日
すべての営みの出発点

当社のメルマガ創刊より、一年が経ちました。

2015年3月24日
パリが“花の都”である理由

フェイスブックのウォールを賑わせていた、学生たちの卒業旅行の季節も、終わりに近づきました。

2015年2月24日
能楽堂と「鏡の間」

昨年の暮れ、渋谷区松濤の観世能楽堂を訪れました。

2015年4月22日
1985年の年初。

欧州に向う機中で、輝之は熟考を重ねていました。

2014年12月19日
私の就職活動

今から20年前の‘94年の春、大学の研究室にいた私は、卒業を一年後に控えていました。

2014年11月19日
人と組織のファクトに向き合って

本年の9月、朝日新聞のコラムで、星浩(ほしひろし)特別編集委員が、政治記者の先輩であった、故・石川真澄氏の言葉を、引用しています。

2014年10月15日
“神が宿る細部”を求めて

先日、元サッカー日本代表監督・岡田武史氏の講演を伺いました。

2014年9月17日
「ニーバーの祈り」に託されたもの

今年の年初、心理学者であるA・アドラーの思想に基づいて綴られた一冊が、友より贈られました。(『嫌われる勇気』ダイヤモンド社)

2014年8月26日
恩師と夏の日

こうした仕事をしていると、よく「会社の皆さんは、心理学や統計学のご出身ですか?」と聞かれます。

2014年7月24日
ブラジルW杯の閉幕に思う

南米開催における、初の欧州国・ドイツの優勝をもって、サッカーW杯・ブラジル大会は幕を閉じました。

2014年6月23日
定説を排して見えるもの

その朝、大連の街は、マイナス15度の冷気に包まれていました。

2014年5月20日
林知己夫先生と三代の系譜

振り返れば、かけがえのない出会いがあります。

2014年4月25日
eFの活動:創刊の挨拶

皆さま、こんにちは。 イー・ファルコンの志村です。

「全ての営みの出発点」新着の社長コラム

2017年4月5日
禁断の問い

夕暮れの、大阪・中ノ島。

2017年3月14日
人生のテスト

薦められるがままに、彼はその会社の門を叩きました。

2017年2月14日
多湖先生との再会

会社を立ち上げてから5年。

2016年12月13日
竹野の一代記を描いて

どうか、大仰にはしないでくれ・・・

2016年10月25日
挑戦と応戦

思いもかけなかった、一本の電話。

2016年9月13日
青天の霹靂

レストランでの語らいから、数日後。

2016年8月18日
三島をめぐる語らい

実に宿縁深き、この街。

2016年7月19日
運命のクロス

彼は、影の画策に憤っていました。

2016年6月28日
頂上作戦

頂上作戦の、機は熟しました。

2016年5月27日
へりくだらなくてよい価値

彼は、データを凝視していました。

2016年5月27日
欧州に翔ぶ(後)

輝之の眼差しに、ロパッソは思います。

2016年3月15日
欧州に翔ぶ(前)

1985年の年初。欧州に向う機中で、輝之は熟考を重ねていました。

2016年2月25日
「心に残る一節」という名の会社

社会の扉の前に立った、輝之の心を巡るもの。

2015年11月25日
成長の熱源

果たして、上田薫氏は“研究者”だったのか? それとも“教育者”だったのか?

2015年10月27日
恩師の薫陶

研究室の一員となった輝之を待ち受けていたのは、あらゆる話し合いの場における、上田先生からの“質問”でした。

2015年9月29日
哲学の師を求めて

教育の道を志して、千葉大学・教育学部に入学した輝之。

2015年8月18日
流れに抗う選択

幕末の志士・高杉晋作が詠んだと言われるこの句を、これまで輝之は、事あるごとに引用してきました。

2015年7月22日
数学教師のロマン

中学に進学した輝之に、最も大きい影響を与えたのは、またしても、ある教師との出会いでした。

2015年6月23日
二つの事件

竹野家が、千葉・稲毛の地に引越した後、輝之は夏休み明けの二学期から、市内の小学校に通い始めます。

2015年5月26日
ロケット雲を仰いだ日

創業から十数年間の、事業変遷の背景にある「水底のゆるやかな動き」を見つめる時、その流れを決定づけた人物の存在が、浮かび上がってきます。

2015年4月22日
すべての営みの出発点

当社のメルマガ創刊より、一年が経ちました。

2015年3月24日
パリが“花の都”である理由

フェイスブックのウォールを賑わせていた、学生たちの卒業旅行の季節も、終わりに近づきました。

2015年2月24日
能楽堂と「鏡の間」

昨年の暮れ、渋谷区松濤の観世能楽堂を訪れました。

2015年4月22日
1985年の年初。

欧州に向う機中で、輝之は熟考を重ねていました。

2014年12月19日
私の就職活動

今から20年前の‘94年の春、大学の研究室にいた私は、卒業を一年後に控えていました。

2014年11月19日
人と組織のファクトに向き合って

本年の9月、朝日新聞のコラムで、星浩(ほしひろし)特別編集委員が、政治記者の先輩であった、故・石川真澄氏の言葉を、引用しています。

2014年10月15日
“神が宿る細部”を求めて

先日、元サッカー日本代表監督・岡田武史氏の講演を伺いました。

2014年9月17日
「ニーバーの祈り」に託されたもの

今年の年初、心理学者であるA・アドラーの思想に基づいて綴られた一冊が、友より贈られました。(『嫌われる勇気』ダイヤモンド社)

2014年8月26日
恩師と夏の日

こうした仕事をしていると、よく「会社の皆さんは、心理学や統計学のご出身ですか?」と聞かれます。

2014年7月24日
ブラジルW杯の閉幕に思う

南米開催における、初の欧州国・ドイツの優勝をもって、サッカーW杯・ブラジル大会は幕を閉じました。

2014年6月23日
定説を排して見えるもの

その朝、大連の街は、マイナス15度の冷気に包まれていました。

2014年5月20日
林知己夫先生と三代の系譜

振り返れば、かけがえのない出会いがあります。

2014年4月25日
eFの活動:創刊の挨拶

皆さま、こんにちは。 イー・ファルコンの志村です。

  • 社長コラムTOP
  • インサイトTOPへ

お問い合わせはこちら

CONTACT US
株式会社イー・ファルコン コーポレートサイトPAGETOP

© e-Falcon Co.,Ltd All Rights Reserved.