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社長コラム

欧州に翔ぶ(後)

輝之の眼差しに、ロパッソは思います。

「なかなか、面白い青年が現れたものだ・・・」

当時、欧米の企業にとって、多くの日本の企業が、優れた学習で高度な生産性と競争力を発揮している脅威の存在でした。

そうした意味から「いったんは高く積み上げられる契約金も、我々のデザインの“内製化”を目論んだ、先行投資に過ぎないのではないか・・・」といった疑念が抱かれても、おかしくない時代だったとも言えます。

しかし、目の前にいる青年は、大枚を叩いて権利を得ようとするスタンスではない。それどころか、自らが弱小であることを、決して他社が持ち得ない“強み”に替えて「この俺に賭けろ!」と訴えてくる。

それは、これまで会ってきた多くの日本企業の姿勢と、一線を画すものでした。

ロパッソは、静かに語りました。

「分かった。まず一年間、君とやってみよう」

これが、パラフェルナリアとの総販売代理契約の合意を、獲得した瞬間でした。

こうして、いくつもの大手販社や商社を向こうに回して、ミラノでの初戦を制した彼は、次の文具フェアである「シッパ」の開催地、フランス・パリへと駒を進めます。

ローカル線でジュネーブに至り、そこから乗車した高速鉄道・TGVの車内には、卒業旅行でやってきた日本の学生たちが、乗り合わせていました。

成田を発って以来、孤独と緊張が続く中、学生たちと賑やかに談笑して過ごす道中は、彼にとって心休まる瞬間でありました。

列車はアルプスの山間を抜け、いつしかパリへと近づきます。

やがて、窓に映った花の都の街並みを望んだ瞬間、彼はその美しさに思わず胸を熱くするのでした。

二つ目のフェアおけるターゲットは、パリから南に100Kmほど離れたジョアニという街にある「スタイペン」です。

当時、パラフェルナリアよりも既に大きな商いをしていたこの会社は、オーソドックスでありながら、実にフランスらしく洒落たテイストのデザインメーカーでした。

「へぇー、君のところはパラフェルナリアとやっているんだね!」

つい何日か前に、ミラノで切り拓いたばかりの契約が、このシッパの交渉で追い風となります。

彼はブースに居合わせるスタッフたちへ、再びあの問いを投げかけます。

「君たちは、交渉中の会社の営業担当と会ったのかい?」

小気味よく展開する商談は、長時間を要することなく、契約の合意へと至るのでした。

後日、彼はこのデザインチームと、日本向けのデザインの方向性を協議することになります。

やがて、彼の意見が反映された、スケルトン、スモーク、ラメを素材とする万年筆が大ヒットとなり、スタイペンにおける世界の売上・トップ3を占めることになります。

それは、車や時計といったプロダクトデザインのトレンドが、やがて雑貨や文具へと波及するという、日本の市場への注視がもたらした成果でした。

「あの時、売上ロイヤリティの契約も、しっかり結んでおけば良かった!」と、後悔する彼でしたが、結果として「もう、タキーノッ(竹野)の言うことだったら、何でもやるぞ」と、言わせしめる関係を築くのでした。

最後の舞台、ドイツのフランクフルト・フェアにおけるターゲットは「リッター」です。

ここでの交渉でも、ミラノとパリで獲得した2つのソール・エクスクルーシブが、実に有効な後ろ盾として働きます。

その結果、遂に彼は、意中の3つ目のメーカーとの総販売代理契約の合意をもって、欧州の遠征を終えるのでした。

この、社会への第一歩において、こうした結果を導いたもの・・・それは、わずかな軍資金と、覚えたての英語、そして、世界を相手に臆することなく立ち上がった、青年の意気であったと言えるのでしょう。

フランクフルトを後にして、機上の人となった彼は、しばらく心地よい疲れに身を委ねていました。

しかしそれも束の間、自ずと彼の思索は、いかにして国内の販路を切り拓くか・・・その一点へと集中していくのでした。

≪つづく≫


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