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社長コラム

へりくだらなくてよい価値

彼は、データを凝視していました。

欧州より帰国した輝之は、国内の販路となる大手百貨店の攻め方を練るため、広告代理店に勤務する友人に頼み、資料室にこもっていました。

そこで、若者が集まっているランキング上位の「東海百貨店・渋谷店」を、最初のターゲットに定めた彼は、早速、都内の本社に電話し、商品の買い付けを担う「商品部」の担当に取り次いでもらいます。

「へぇ~ パラフェルナリア、持ってるんだ」

取り扱っているブランドに鋭く反応した担当者との間で、早くも面会の日時が決定します。

アポイント当日。

彼の商品紹介に耳を傾けていた担当者は、並んだ商品をパーっと見渡して、ひと言・・・「来週の出店に、間に合う?」と。

その日から一週間後にオープンを控えた、筑波店における取引の打診でした。

こうして、本社への営業初日で、一店目の販路の開拓に成功するのでした。

納品の日。

商品のカートンをタクシーに積み込み、指示された検品所へと向かう輝之。

ところが、納品手続きを始めたとたん、検品担当より、シタシオンジャパンの口座が、まだ開かれていないと告げられます。

――― 取引を開始するには、取引先と認められた業者に開設される、金融機関の取引口座を要する

その事実を知り、呆然としている彼の脇では「どうして、こんな業者を送り込んでくるのよっ!」と、検品担当が本社に電話でクレームを入れています。

すると、その電話が彼に回ってきました。

相手は、あの商品部の担当者です。

その電話口で、担当者は事もなげに「竹野さん、そこでしばらく待てるかな?」と問うのでした。

待つこと、一時間。

検品担当より、たった今、本社で口座が開設されたことが知らされました。

こうして始まった筑波店との取引が突破口となり、池袋店や千葉店、また渋谷店や有楽町店、さらには兵庫・尼崎店へと、取引が拡大していきます。

しかし、後になって分かった事実がありました。

それは通常、大手百貨店とは、まずは問屋を介して最低でも数年の実績を積み、確かな信用を築いてからでないと、取引口座は開設されないということでした。

――― でもあの時、わが社は創業の直後で、百貨店はおろか流通の実績がまったくなかったにも関わらず、彼は取引を即決した・・・

ある日、輝之は商品部の担当者に問いかけました。

「どうしてあの時、うちとやるって決めてくれたのですか?」

担当者は答えました。

「あ~、あの時ね。

あなたは、自分のところの商品が“なぜ、生まれたのか”を、ズバリと語ったんだよね。

だけど、うちとの取引を“懇願”するような素振りは一切なかった・・・それが、凄く新鮮だったんだよね」と。

その言葉は、販路の開拓に際して、彼自身が抱く決意を言い当てたものでした。

「今日の国内流通の世界には“もてなし”や“貢ぎ”によって、取引の優遇を求める慣例がある。

でも仮に、自分がそうした“影の文化”に甘んじれば、これから続く後輩たちにも、同じ連鎖を残すことになるだろう。

一方で、わが社が取り扱う商品には、これまでの文具の常識を覆すような、デザインの凄みがある。

しかしそれは、単に奇をてらった凄さなどではない。

それが生み出された背景には、“日常はもっと豊かに、もっと楽しくできる”という、彼らのモノづくりへの信条があり、それこそが、自分が日本にもたらしたいと考えた価値の本質だった。

だからこそ、へりくだって関わりを結ぶのではなく、へりくだらなくてよいだけの価値を持って、わが社は日本の市場を拓くのだ」

輝之は、店舗に陳列された商品を写真に収め、欧州の契約企業へと送りました。

現地でも、この百貨店の存在は既に広く知られていたことから、自分たちの商品がディスプレイに輝く姿に、彼らは満足と安堵を覚えるのでした。

こうして、初めの外堀を埋めた彼は、いよいよ国内流通の“頂上”へと挑んでいきます。

≪つづく≫


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