MENU

社長コラム

頂上作戦

頂上作戦の、機は熟しました。

「水は、上から下にしか流れない」

わが社のデビューは、それ以降のブランド価値を決するが故に、どんなに苦しくても、国内で最も力のある販路を切り拓かねばならないと、輝之は決意していました。

まず東海百貨店で実績をつくった彼は、いよいよ「伊勢又」の開拓に取りかかります。

当時、この百貨店は、儲ける力の指標である売上高営業利益率において、ダントツのグループでありました。

そしてまた、この伊勢又の“ガード”は、大変固いものでした。

一週間に一度、本社商品部に連絡を取るものの「機会があったら、また話しましょう」と、電話が切られます。

しかし春を向かえた頃、それまでの担当者が他部署に異動となっており、新任の担当者が電話口に出ました。

彼は、機転を利かせます。

「前任者様とは、お会いする約束を頂いておりましたっ!」と。

すると、その新任曰く「それは、申し訳ないことをしました」と。

伊勢又との、アポイントの成立です。

そして、当日。

彼の、商品が生まれた背景を語る紹介に対して「うちにも置きましょう」と、取引が成立するのでした。

このグループの本店である、新宿伊勢又との取引が始まってみて、彼は驚嘆します。

それは、数十センチ四方の棚割りで、月に100~200万円・・・東海百貨店の数店分にもあたる売上を、この店舗は叩き出すのでした。

こうして、市場でのシタシオンのブランド認知が進むにつれ、大手問屋からの引き合いもありました。

しかし彼は、市場の反応を肌感覚でつかみ、次の手の打ち方を判断できるようにしておくため、百貨店を中心とした、小売との直接取引にこだわるのでした。

ある日のこと。

国内流通において、伊勢又と双璧をなす「浪速屋」から、面会の要請が届きます。

当時、浪速屋は国内で初めて、グループ売上高が1兆円を超えた百貨店業界の雄でした。

その本社・商品部の課長が、台東区の事務所を訪ねてきます。

「普段はね・・・取引先を訪ねたりしないんだがね」

ブランドスーツで身を固めた課長は、そうつぶやきながら狭い会議室を見回します。

「お宅、パラフェルナリアとやってるね。

うちは、欧州各地にトレーディングセンターもあるし、引く(商品を直接仕入れる)気になれば、自力で引けるんだけど、ここはお宅から買ってもいいと考えている」

そして、品揃えと上代を確認した上で、浪速屋としてその5掛(上代の50%)での取引を要求してくるのでした。

しかし、シタシオンジャパンが定める卸値は、最低でも6掛。両者の条件には開きがありました。

「お宅の考え方は、分かった。それでは、また日を改めるとしよう」

この日、課長はあっさり引き上げていきました。

しかし数日後、パラフェルナリアのロパッソから、思いもかけない連絡が入ります。

聞けば、例の浪速屋の課長からミラノへ連絡があり、看板の力にモノを言わせながら、シタシオンとの独占輸入の契約を反故にさせ、浪速屋との並行輸入に応じるよう迫られたというのです。

そうだとすれば、過日の事務所への来訪も、両社の取引内容を探るためだったという、推察が成り立ちます。

しかしロパッソは、日本市場での展開に尽力する輝之に深く感謝していたことから、浪速屋の要求には一切応じることなく、むしろそのやりとりの一部始終を克明に報告してくるのでした。

1ヵ月後。

遂に、パラフェルナリアとの交渉を断念した課長は、再び彼の元を訪れます。

そして「検討した結果、お宅の条件で買うことにしたよ」と。

彼は、静穏を保って応じました。

「課長・・・大変申し訳ありませんが、これまでの間、課長がパラフェルナリアに対してどんな交渉をしてきたのか、こちらで全部把握しております。

そこで一つ伺いたいのですが、御社にとって、これは普通のやり方なんでしょうか?」

会議室に、沈黙が流れました。

そして、テーブルをはさんだ課長の額には、うっすらと汗が滲み始めていました。

≪つづく≫

※この物語はフィクションです。仮に似ている企業や組織名があっても、それは偶然に過ぎません。

最新の社長コラム

2017年4月5日
禁断の問い

夕暮れの、大阪・中ノ島。

2017年3月14日
人生のテスト

薦められるがままに、彼はその会社の門を叩きました。

2017年2月14日
多湖先生との再会

会社を立ち上げてから5年。

2016年12月13日
竹野の一代記を描いて

どうか、大仰にはしないでくれ・・・

2016年10月25日
挑戦と応戦

思いもかけなかった、一本の電話。

2016年9月13日
青天の霹靂

レストランでの語らいから、数日後。

2016年8月18日
三島をめぐる語らい

実に宿縁深き、この街。

2016年7月19日
運命のクロス

彼は、影の画策に憤っていました。

2016年6月28日
頂上作戦

頂上作戦の、機は熟しました。

2016年5月27日
へりくだらなくてよい価値

彼は、データを凝視していました。

2016年5月27日
欧州に翔ぶ(後)

輝之の眼差しに、ロパッソは思います。

2016年3月15日
欧州に翔ぶ(前)

1985年の年初。欧州に向う機中で、輝之は熟考を重ねていました。

2016年2月25日
「心に残る一節」という名の会社

社会の扉の前に立った、輝之の心を巡るもの。

2015年11月25日
成長の熱源

果たして、上田薫氏は“研究者”だったのか? それとも“教育者”だったのか?

2015年10月27日
恩師の薫陶

研究室の一員となった輝之を待ち受けていたのは、あらゆる話し合いの場における、上田先生からの“質問”でした。

2015年9月29日
哲学の師を求めて

教育の道を志して、千葉大学・教育学部に入学した輝之。

2015年8月18日
流れに抗う選択

幕末の志士・高杉晋作が詠んだと言われるこの句を、これまで輝之は、事あるごとに引用してきました。

2015年7月22日
数学教師のロマン

中学に進学した輝之に、最も大きい影響を与えたのは、またしても、ある教師との出会いでした。

2015年6月23日
二つの事件

竹野家が、千葉・稲毛の地に引越した後、輝之は夏休み明けの二学期から、市内の小学校に通い始めます。

2015年5月26日
ロケット雲を仰いだ日

創業から十数年間の、事業変遷の背景にある「水底のゆるやかな動き」を見つめる時、その流れを決定づけた人物の存在が、浮かび上がってきます。

2015年4月22日
すべての営みの出発点

当社のメルマガ創刊より、一年が経ちました。

2015年3月24日
パリが“花の都”である理由

フェイスブックのウォールを賑わせていた、学生たちの卒業旅行の季節も、終わりに近づきました。

2015年2月24日
能楽堂と「鏡の間」

昨年の暮れ、渋谷区松濤の観世能楽堂を訪れました。

2015年4月22日
1985年の年初。

欧州に向う機中で、輝之は熟考を重ねていました。

2014年12月19日
私の就職活動

今から20年前の‘94年の春、大学の研究室にいた私は、卒業を一年後に控えていました。

2014年11月19日
人と組織のファクトに向き合って

本年の9月、朝日新聞のコラムで、星浩(ほしひろし)特別編集委員が、政治記者の先輩であった、故・石川真澄氏の言葉を、引用しています。

2014年10月15日
“神が宿る細部”を求めて

先日、元サッカー日本代表監督・岡田武史氏の講演を伺いました。

2014年9月17日
「ニーバーの祈り」に託されたもの

今年の年初、心理学者であるA・アドラーの思想に基づいて綴られた一冊が、友より贈られました。(『嫌われる勇気』ダイヤモンド社)

2014年8月26日
恩師と夏の日

こうした仕事をしていると、よく「会社の皆さんは、心理学や統計学のご出身ですか?」と聞かれます。

2014年7月24日
ブラジルW杯の閉幕に思う

南米開催における、初の欧州国・ドイツの優勝をもって、サッカーW杯・ブラジル大会は幕を閉じました。

2014年6月23日
定説を排して見えるもの

その朝、大連の街は、マイナス15度の冷気に包まれていました。

2014年5月20日
林知己夫先生と三代の系譜

振り返れば、かけがえのない出会いがあります。

2014年4月25日
eFの活動:創刊の挨拶

皆さま、こんにちは。 イー・ファルコンの志村です。

「全ての営みの出発点」新着の社長コラム

2017年4月5日
禁断の問い

夕暮れの、大阪・中ノ島。

2017年3月14日
人生のテスト

薦められるがままに、彼はその会社の門を叩きました。

2017年2月14日
多湖先生との再会

会社を立ち上げてから5年。

2016年12月13日
竹野の一代記を描いて

どうか、大仰にはしないでくれ・・・

2016年10月25日
挑戦と応戦

思いもかけなかった、一本の電話。

2016年9月13日
青天の霹靂

レストランでの語らいから、数日後。

2016年8月18日
三島をめぐる語らい

実に宿縁深き、この街。

2016年7月19日
運命のクロス

彼は、影の画策に憤っていました。

2016年6月28日
頂上作戦

頂上作戦の、機は熟しました。

2016年5月27日
へりくだらなくてよい価値

彼は、データを凝視していました。

2016年5月27日
欧州に翔ぶ(後)

輝之の眼差しに、ロパッソは思います。

2016年3月15日
欧州に翔ぶ(前)

1985年の年初。欧州に向う機中で、輝之は熟考を重ねていました。

2016年2月25日
「心に残る一節」という名の会社

社会の扉の前に立った、輝之の心を巡るもの。

2015年11月25日
成長の熱源

果たして、上田薫氏は“研究者”だったのか? それとも“教育者”だったのか?

2015年10月27日
恩師の薫陶

研究室の一員となった輝之を待ち受けていたのは、あらゆる話し合いの場における、上田先生からの“質問”でした。

2015年9月29日
哲学の師を求めて

教育の道を志して、千葉大学・教育学部に入学した輝之。

2015年8月18日
流れに抗う選択

幕末の志士・高杉晋作が詠んだと言われるこの句を、これまで輝之は、事あるごとに引用してきました。

2015年7月22日
数学教師のロマン

中学に進学した輝之に、最も大きい影響を与えたのは、またしても、ある教師との出会いでした。

2015年6月23日
二つの事件

竹野家が、千葉・稲毛の地に引越した後、輝之は夏休み明けの二学期から、市内の小学校に通い始めます。

2015年5月26日
ロケット雲を仰いだ日

創業から十数年間の、事業変遷の背景にある「水底のゆるやかな動き」を見つめる時、その流れを決定づけた人物の存在が、浮かび上がってきます。

2015年4月22日
すべての営みの出発点

当社のメルマガ創刊より、一年が経ちました。

2015年3月24日
パリが“花の都”である理由

フェイスブックのウォールを賑わせていた、学生たちの卒業旅行の季節も、終わりに近づきました。

2015年2月24日
能楽堂と「鏡の間」

昨年の暮れ、渋谷区松濤の観世能楽堂を訪れました。

2015年4月22日
1985年の年初。

欧州に向う機中で、輝之は熟考を重ねていました。

2014年12月19日
私の就職活動

今から20年前の‘94年の春、大学の研究室にいた私は、卒業を一年後に控えていました。

2014年11月19日
人と組織のファクトに向き合って

本年の9月、朝日新聞のコラムで、星浩(ほしひろし)特別編集委員が、政治記者の先輩であった、故・石川真澄氏の言葉を、引用しています。

2014年10月15日
“神が宿る細部”を求めて

先日、元サッカー日本代表監督・岡田武史氏の講演を伺いました。

2014年9月17日
「ニーバーの祈り」に託されたもの

今年の年初、心理学者であるA・アドラーの思想に基づいて綴られた一冊が、友より贈られました。(『嫌われる勇気』ダイヤモンド社)

2014年8月26日
恩師と夏の日

こうした仕事をしていると、よく「会社の皆さんは、心理学や統計学のご出身ですか?」と聞かれます。

2014年7月24日
ブラジルW杯の閉幕に思う

南米開催における、初の欧州国・ドイツの優勝をもって、サッカーW杯・ブラジル大会は幕を閉じました。

2014年6月23日
定説を排して見えるもの

その朝、大連の街は、マイナス15度の冷気に包まれていました。

2014年5月20日
林知己夫先生と三代の系譜

振り返れば、かけがえのない出会いがあります。

2014年4月25日
eFの活動:創刊の挨拶

皆さま、こんにちは。 イー・ファルコンの志村です。

  • 社長コラムTOP
  • インサイトTOPへ

お問い合わせはこちら

CONTACT US
株式会社イー・ファルコン コーポレートサイトPAGETOP

© e-Falcon Co.,Ltd All Rights Reserved.