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社長コラム

運命のクロス

彼は、影の画策に憤っていました。

しかし、相手はインテリゲンチャである。そのやり方に、疑問を投げかけることはあっても、決して侵してはならない尊厳はある・・・彼は、それを心得ていました。

それから一週間後。

その課長とともに、彼の上長である商品部の部長が、シタシオンジャパンを訪れました。

そして開口一番、部長は「うちのが、大変失礼なことをしたようです」と、過日の一件を詫びるのでした。

その姿に、輝之は深く感じ入ります。

「“天下の浪速屋”の商品部長が、一介の業者に足を運んで頭を下げている。

一社を経営しているとはいえ、自分はまだ30代半ば。親子ほども年の差がある一人の若者に対して、こうして真摯に向き合って示しをつける・・・大人の振る舞いとは、こういうものなのか」と。

そして彼は、爽やかに応じました。

「部長。これまで課長には、しっかりご指導を頂いて参りました。これから大変お世話になりますが、どうぞよろしくお願いします!」と。

帰り際、部長の後を辿る課長は「ありがとう・・・恩に着るよ」と、彼に囁くのでした。

それからこの課長は、このビルに足繁く通うようになり、後にシタシオンジャパンが文具の輸入業を終える日まで、浪速屋との良好な関係が築かれていきます。

そして、この浪速屋に続き、国内百貨店の草分けである「越後屋」から、取引依頼の連絡が入ったのは、それからしばらくしてのことでした。

しかし、国内の取引が活発化するにつれて、新たな障壁が現れます。

競合企業が、シタシオンブランドを徹底的に研究してきたのです。

新商品の発売から程なく、それら競合各社から、酷似した商品が安価で販売されていきます。

そして遂には、ある企業がシタシオンジャパンの従業員の一人を懐柔し、内部の商品企画の情報をつかもうとしていることが発覚したのでした。

彼は、思い悩みます。

「心から尊敬すべき人物との出会いがある一方で、デザインの模倣や盗用も横行する、この文具の世界。

どこまでも続く消耗戦に、自分は耐えられたとしても、これから続く後進たちは、果たして耐えることができるのか・・・」

そんな思索が深まる中、ミラノへ出張中のある日。

パラフェルナリアで、午前中の商品企画ミーティングが終了した後、デザイナーであるセルジオ・カルパーニからランチに誘われました。

輝之より10歳年上のセルジオは、ポッちゃりお腹のおじさんでした。

彼の名の“カルパーニ”とは、日本語訳してみれば「鯉太郎」。そんな彼のことを、輝之は親しみを込めて「鯉太郎っ!」と呼んでいました。

昼下がり。

多くの人々で賑わう、ドゥオーモ広場の一角のレストランには、テーブルの向こうから身を乗り出すようにして語る、セルジオの姿がありました。

「竹野、ぜひ日本で、この俺をデビューさせてくれないか?!」と。

それは、一体どういうことなのか?

「実は、社長のロパッソは、俺の姉さんが嫁いだ相手・・・つまり義理の兄なんだ。そんなことから、これまで長い間、俺は安い給料で働かされ続けてきたんだ」

生々しい話でした。

「ずっとガキ扱いだったけど、俺はもう大人だ! だから、自分の真価を問う意味でも、この俺を日本で勝負させてもらいたいんだっ!」

このセルジオの訴えに、彼は驚きを禁じ得ませんでした。

これまでのように、自ら新たなデザインを企画するのではなく、そのデザインを生み出す“源泉”をつかまない限り、事業の持続は困難と感じていた輝之に向かって、自分のデザインの底力を試したいと切願するセルジオ・・・それは悩める二人の運命が、まさにクロスした瞬間でした。

「そうか、鯉太郎っ!

でも日本では、まだまだ君の知名度は高くない。

そこでだけれど・・・最低でも5人、できれば7人、インダストリアルデザイナーの仲間を集められないか? それで“ミラノデザイングループ・7人衆”として、日本でデビューを果たすっていうのはどうだろう!!」

≪つづく≫

※この物語はフィクションです。

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