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社長コラム

三島をめぐる語らい

実に宿縁深き、この街。

欧州でも有数の産業都市である、このミラノの北側には、豊かな湖水地方が広がり、更にその先にはアルプス山脈が連なります。

この“都市の革新”と“自然の伝統”が隣接する街こそ、創造が生まれゆく地であると直観していた輝之は、セルジオのプロデュースを引き受ける上で、ミラノ出身者に限定した7人のデザイナーの結集を、その条件に課したのでした。

それは、少々高いかと感じるハードルでもありましたが、同郷の誇りを分かち合う“ミラネーゼ”たちの強いつながりによって、セルジオは易々と結集を完成させるのでした。

輝之は、彼らのお披露目となる東京でのデザイン展示会を企画し、一人ひとりを紹介するパンフレットや作品パネルの制作、経済紙誌へのプレスリリース、そして都内の会場の手配等、着々と手を打っていきます。

ところが、一つだけ遅々として進まなかったのが、両者間の契約です。

セルジオ側は、ミラノに事務所を構える、若き弁護士を代理人として立てていました。

その弁護士が提示してきたのは、ドキュメントの厚さが1cmにもなろうかという契約書案でした。

そこには、デザインの商標登録やオリジナル作品であることの証明、更には受注した際の流れまでもが示されています。

一方で、輝之が作成した原案は、A4でたったの3ページ・・・しかし、彼は決して契約を軽んじているわけではありません。

それは「まず何よりも先に必要なのは、両者が動いて創り出すリアリティであり、それなくして、始めから細部を論じてもしょうがない」という、スタンスの現れでした。

無論、セルジオたちも、ことさら細かい部分にこだわるべきではないと考えてはいました。

しかし、いざ仕事を始める上で、契約の締結は必須である・・・こうして、議論は再び細部の整合性へと及んでいきます。

東京での、デザイン展示会の開催も目の前まで迫った、ミラノでのミーティング。

デザイナーたちとの契約の協議は、やはりこの日も平行線を辿っていました。

そうした中、この状況を見兼ねた弁護士は、輝之に耳打ちします。

「皆を抜きにして、晩飯でも食べにいこう」と。

夕暮れ時。

天を突くドゥオーモの尖塔が、シルエットになって浮かんでいました。

このミラノ大聖堂から程近く、鉄骨の天蓋が美しいガッレリアのアーケードを見上げるレストランで、弁護士が切り出してきたのは、互いに追い込まれ、決着しなければならないはずの契約の内容とは、全くかけ離れた話題でした。

「おい、竹野・・・君は、母国の作家である、三島のことを知ってるよね?

君は、彼をどう思う?」

───三島由紀夫(1925~1970)は、戦後のわが国の文学界を代表する作家であり、ノーベル文学賞候補になるなど、国内のみならず、海外でも高く評価されていました。

その弁護士は、優麗な文体で数々の作品を綴った日本の小説家が、なぜあのような、壮絶な自刃の道を選んだのか、その意味を知りたいと思っている様子です。

これに対して、輝之はかつて哲学者・上田薫の元で薫陶を受けていたことから、三島のフィロソフィについても、おおよその察しはつきました。

「そうだな・・・全部は知らないけど、その触りくらいなら分かるよ。

東洋には“朱子学”と“陽明学”っていうのがあって、彼・・・つまり三島は、陽明学の立場を取っているんだよ。

それは、どういうことかというと、美しいものは、マックスの瞬間にストップすることによって、その美が永遠に続くっていう考え方が、ベースにあるんだよ」

こう応じた時、弁護士の姿勢が明らかに変化しました。

「・・・凄いな、君は!」

「?!」

「日本人は、皆こうして、人物の背景を理解しているのか?」

「うーん・・・皆が皆とは言えないけど、分かっているやつは分かってるよ」

すると若き弁護士は、感極まった調子で言いました。

「そうか・・・よく分かった。

竹野。これから私は、君の味方になるよっ!」

 

≪つづく≫

※この物語はフィクションです。

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