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社長コラム

晴天の霹靂

レストランでの語らいから、数日後。

帰国した輝之を追いかけてきたのは、これまで膠着していた契約の締結案でした。

しかもそれは、彼が始めに示した原案に、ほんの数ヵ所の加筆がなされただけのものでした。

――― あの語らいの後、若き弁護士は、デザイナーたちに告げました。

「あらゆる事象には、それが生じる真因がある。

一見、理解することが困難に思える、作家・三島の、言動の背景にあったフィロソフィを、竹野は一言のもとに説明した。

そんな彼は、君たちのデザインを、単に“商材”として扱う存在ではない。

彼は、君たちの創作活動の背景にまで心を馳せ、それを“文化”として遇する人物であるに違いない」

この“君たち自身を、託すに値する”という、弁護士の洞察と確信が、ミラネーゼたちをディテールへの執着から解き放し、契約は完成に至ったのでした。

雲一つなき、秋の朝。

池袋・サンシャインシティにて「ミラノデザイン展示会」が、開催初日を迎えました。

七人衆の作品とパーソナリティをアピールし、デザインの注文を取り付けるためのイベント会場には、数百人に上る大手のメーカーや、小売の関係者が詰め掛けていました。

その中には、キングジム、プラス、コクヨ等・・・これまで国内の文具販売で、しのぎを削っていた企業の担当者たちが、次々と輝之の元へ挨拶に訪れます。

「いや~、これまでシタシオンさんには、いつも勉強させてもらっていたんですよ」

振り返れば、創業からの3年間で、文具の卸業から、海外メーカーとの商品企画、そしてデザイナー達のプロデュースへと、シタシオンジャパンの業容は激しく変化してきました。

“一時の成功”に囚われるのではなく、ひとえに事業の持続化を目指して“成功を生み出した源泉”を求めて歩んだ結果、昨日まで脅威だった競合各社が、今日、こうして新たな顧客へと変化していることに、彼は気づくのでした。

ふと会場に目をやった彼は、取り分け熱心に、プレゼンテーションに見入っている人物の姿に気づきます。

それは、あるアンテナメーカーの社長でした。

この社長は、デザイナー達の作品を吟味した結果、新商品開発のパートナーとして、七人衆の一人であるラウル・バビエリを指名します。

ラウルは、セルジオからのデザイングループ結成の呼びかけに対して、いち早く応えた一人でした。

ミラノで、初めて彼と対面した日のこと。

彼は、ピンクの巨大な蝶ネクタイに、黒く艶やかなベルベットのマントをまとって登場し、輝之の度肝を抜いたのでした。

しかし、一つ間違えれば、悪趣味にもなり兼ねないそのスタイルが、決して厭らしくないどころか、高貴かつ優雅な品位を醸し出していることに、輝之は感嘆するのでした。

そのラウルへのオーダーは、平面型のテレビアンテナである、フラットアンテナのデザインでした。

この要請に基づき、輝之とメーカーの商品開発担当者は、共にミラノに滞在し、ラウルのオフィスに通い詰めながら、大変斬新でスタイリッシュなデザインを完成させます。

そしてこのデザインは、後日、メーカーが主催した新商品発表会で、大きな話題を集めることになるのでした。

このような成果をはじめとして、デザイングループのプロデュースが、上々のスタートを切れたと安堵していた矢先・・・。

シタシオンジャパンに、一本の電話が入ります。

それは一緒にミラノへ赴いた、あのメーカーの担当者からでした。

担当者はいつになく、何か思い詰めているかのようなトーンです。

「竹野さん。

・・・つかぬ事を聞くけれど、あのフラットアンテナは、本当に売れるものだったのだろうか?」

「えっ? それってどういう意味ですか?!」

「あのデザインが、本当に売れるという根拠を・・・シタシオンさんに、そこのところを説明してもらっていなかったせいで、あの商品が、発売中止に追い込まれてしまったんだ」

「えぇーーっ!?」

事務所に響く叫び・・・それは、晴天の霹靂でした。

≪つづく≫

※この物語はフィクションです。

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