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社長コラム

挑戦と応戦

思いもかけなかった、一本の電話。

丹精を込めたデザイン商品が、発売中止となったきっかけは、新商品発表会で脚光を浴びた直後の、営業部長の一言でした。

「良いデザインが、必ず売れるとは限らないよね。

これが、本当に売れるものなのか、そこを示してもらわないと、販売計画など立てられないんだよ」と。

この物言いの背景には、社内の派閥抗争がありました。

当時、経理・営業・商品開発分野を担う、3人の代表取締役によって経営されていたこのメーカーは、それぞれの代表の子息たちによって、3つの派閥に分かれていました。

当時の状況を物語る、エピソードがあります。

関係各部からの承認稟議の押印を得て、案件を実行していた担当者が、ある部門長に呼びつけられました。

「君は一体、何をやってるのかね」

「はぁ・・・あの案件は過日、部長よりご承認を頂いたものですが」

「君ねぇ、あれは稟議の内容を“見た”という意味であって、“認めた”ということではないんだよ」

この“ハンコ押しただけ事件”に象徴されるように、互いの派閥が牽制し合い、社内は泥沼の様相を呈していました。

しかし、そうであったとは言え、この電話で告げられている内容は、明らかにマーケティングの領域にまで立ち入った課題です。

「あのーっ、お言葉ですが、売れるか売れないかを説明してなかったなんて、そんなのうちの役割を超えていますよね!」

・・・と、喉元まで出かかった言葉でしたが、担当者の心中を思いやった彼は、辛うじてそれを呑み込むのでした。

電話を終えた彼は、思索します。

「今回の一件が、そもそもこのメーカーの決済プロセスや、それに関わる人物に起因していることは、間違いない。

しかし考えてみれば、そこには“これは、本当に売れるのか?”という、外に向かう問いと“これを、本当につくるべきなのか?”という、内を固める問いが、はらまれていると言わねばならない。

そして、この胸の内にある、何とも言えない苦々しさは、他でもなく、これらの問いに答える術を持ち合わせぬことからくるのだろう」

思いを巡らす中、彼はかつて立教大学において、哲学者・上田薫の下で受けた訓練を回想していました。

それは、自分が用いる言葉が、いかなる原体験に基づいているのか、徹底的に問われるというものでした。

多くの研究員たちが、答えに窮する中「君たち自身の“体験”に基づく“体感”に結びついていない言葉に、人を動かす力はないのだ」との、上田の指導が、脳裏に蘇ります。

思索は深まります。

「ここで上手く立ち回り、相手の組織のせいにしてみたところで、これからどこにいったとしても、これらの問いは、我々の前に立ちはだかってくることだろう。

それでは、一体どのようにして立ち向かうのか?

時に、思惑が渦巻き、利害が対立する組織において、意思決定を獲得するには、それら種々の人心を動かし、導くに値する“体験”と“体感”とを、要することだろう・・・」

───創業から三年。

それは、生み出された商材自体を扱う事業から、商材を自ら企てて生み出す事業へ、更には、それらを生み出す人を組織化する事業へと、モノを生み出す“源泉”を辿り続けてきた道程でした。

しかし今の境遇は、彼を“更なる源泉”へと、導こうとしていました。

かつてある歴史家は、文明も社会も、また組織も、あらゆる“挑戦”に対して“応戦”したものが成長し、更なる発展を見せてきたとの説を唱えました。

あの、担当者からの電話を通じて投げかけられた、根本的な問いに答えるための術は、未だこの時には、輝之の掌中にありませんでした。

しかしこの時、彼はその“挑戦”を正面から受け止め、“応戦”へと転じる準備と覚悟を、人知れず胸に固めたのでした。

───そしてこの時、この内なる転換に呼応するかのように、彼がこの後、その生涯にわたって仕えゆく、師との出会いの瞬間が、すぐそこにまで近づいていたのです。

≪つづく≫

※この物語はフィクションです。

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