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社長コラム

竹野の一代記を描いて

「どうか、大仰にはしないでくれ・・・」

とうとう観念した彼は、その一言を残して、私の申し入れを承諾したのでした。

当社、イー・ファルコンの初代社長・竹野輝之は、彼の一代記を執筆するために必要となる協力要請を、再三にわたって拒み続けていました。

「既に経営からは退いた身だ。現役の間にやったことが自分の真価であり、それを終えた今、ことさら語らぬ方がよい」と。

また彼が、生来の照れ屋であることも、その“抵抗”に、輪をかけていました。

───しかし、彼が固辞してもなお、私が申し入れを繰り返したことには、三つの理由がありました。

一つ目は、経営を継承した身として、この会社が、一体いかにして生まれてきたのか、明らかに記し留める必要があったからです。

しかし、ただ単に創業までの事実経緯を述べたところで、この会社が“なぜ”生まれたのかという問いには、決して答えられません。

そのためには、竹野がその道を歩まざるを得なかった理由・・・つまり、彼の内なる必然性を、書き起こす必要がありました。

そしてそれは、この会社が一体「どこから来て、どこへ行くのか」との問いに答え続けるための、前提作業であるとも思っています。

また二つ目に、当社は独自のテーマとして、社会的優績者たちを対象に、生誕から現在に至るまでの克明な来歴調査を通じた「成長の因果」の解明に取り組んでいます。

その対象となるモデルを検討する上で、竹野は、自らを澱ませない習慣をつくり上げ、変化し続けていく軌道を築き上げた、稀な人物の一人であると言えます。

この執筆は、現役引退した今もなお、その活動にスケールと深みを増しながら進む、竹野の“持続的な成長”の理由を、明らかにする取り組みでもあります。

そして三つ目として、彼は、不世出とも言える、偉大な師匠たちへの師事を通じて、人間に内在する力の可能性を見つめると共に、その発現を阻む、様々な“働き”の存在を覚知していきます。

その働きと対峙し、妥協なく格闘する彼の姿が、多くの人々を感化して止まなかった一方、時にはそれが適切に理解されず、誤解や批判を浴びることもありました。

しかし、そうした周囲の評価に翻弄されることなく、一心不乱に生きた彼の“真実”を理解する時、これまで目に映っていた事実の断片と断片が連鎖しはじめ、やがて意味を持った大きな流れが、浮かび上がってくるように思えます。

そうしたことからも、彼の人生の軌跡を、一つの“物語”として描き上げることが、この執筆を思い立った理由でした。

───やっとのこと、協力への承諾を得た上で、彼への独自のインタビューに基づく執筆が始まりました。

そして昨夏、いよいよ一回目の配信原稿を完成させ、報告に上がった時のことです。

私が原稿を差し出した瞬間、彼は、間髪入れずに言いました。

「いいんだよ・・・それはすべて、君に一任したことだ」と。

そして一瞥もせぬまま、原稿を私に差し戻してきたのでした。

それからと言うもの、書き下された本文はおろか、毎号のタイトルにさえ、彼は一度も目を通したことがありません。

一人の人間の一代記を、いかに綴るか・・・その責任の全てが、自らの掌中にあるという重みを受け止めながら、会議の合間や電車の中でも、余念なく推敲を繰り返す日々です。

現在、物語は彼の青年期を経て、当社の前身の会社を立ち上げた後の、奮闘の時代へと進んでいます。

そしてこれから、彼はその生涯に渡って仕えゆく、師との出会いの瞬間を迎え、やがて来る2000年、イー・ファルコンを創業する時までが、ストーリーの全体となります。

本来は、起稿してから一年半にあたる、ちょうど今頃には終了する予定でしたが、取材を重ね、物語を紡いだ結果、完結までに要する文量は、当初の二倍となる見込みになりました。

そうした意味では、ようやくこの執筆も、五合目に差し掛かったことになります。

これらも、皆様のご批正と応援を、請う次第であります。

≪つづく≫

※この物語はフィクションです。

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