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社長コラム

多湖先生との再会

会社を立ち上げてから5年。

あるセミナー企画会社の担当者と、打ち合わせていた時のこと。

「ところで竹野さんは、千葉大学のご出身でしたよね?」

「ええ、何か?」

「実は今度、多湖先生が講演会で、浅草にやって来るんですよ」

「おおっ、多湖先生ですか!」

「よかったら、竹野さんも出席しませんか?」

「ありがとうございます、喜んで!」

───それは、彼にとって忘れられぬ人でした。

彼が、多湖輝(たご あきら)と出会ったのは、1972年9月、文部省による派遣先であった、米国・カリフォルニア大学から戻った時のことでした。

帰任後、多湖は千葉大学の助教授として、一般教養課程と教育学部で心理学の講義を担当しますが、それらはいずれも人気を博し、特に一般教養課程では、150名の定員に対して倍近い学生が履修を希望し、輝之自身も含めて抽選に落ちた者までが、先を争って講堂に押し寄せたのでした。

到着が遅れて満席となってしまった日は、正式な履修授業である、人影まばらな教室で一般心理学の受講となります。

ところがそちらの講義には、必ず決まったパターンがありました。

それは担当教授が、最初の数分間、著書『頭の体操』がミリオンセラーとなり、テレビ出演も多数あった多湖を揶揄して「彼は、タレントだからね・・・」と始まり「心理学は、面白ければ良いわけではない」と述べた後、おもむろに講義に入るというものでした。

しかしその内容は、心理学の諸学説や理論の紹介が中心となる、無機質な味の講義でした。

一方、多湖は講義で、常に現実の事象を対象に、なぜこうしたことが起き、どこで対処や判断を間違えたのか、その人間心理の複雑さと面白さを、背景のメカニズムとともにダイナミックに語るのでした。

“学説を覚えさせる講義”よりも“新たな視点と分析で問題の本質に迫ることを訴える講義”に、青年たちの心は鋭敏に反応していったのでしょう。

講演当日。

国際通りに面した浅草ビューホテル内の、会場の最前列に輝之の姿はありました。

やがて定刻を迎え、登壇した多湖は、現役時と変わらぬハリのある声で、聴衆を魅了していきます。

大きな拍手に包まれ、講演が終わると、スタッフが「先生、お茶でもいかがですか?」と声をかけています。

「いや・・・ちょっとこの後、予定があるので」

多湖は、早々と会場を後にしようとします。

願わくは、かつての御礼を込めて、一言だけでも挨拶したいと思っていた輝之は、慌てて多湖の後を追いかけます。

「先生、今日はありがとうございました。千葉大で先生の授業を受けた者です!」

その呼びかけに振り返った多湖は、微笑を浮かべて「ほ~、嬉しいね。君、時間あるの?お茶でもしようか」と。

それは十数年ぶりの、恩師との再会でした。

そして、しばしの懇談後「それじゃあ来週、君の会社に行くよ。ここに地図を送っておいて」と、自宅のFAX番号をメモに書いて手渡すのでした。

感極まった輝之は、帰社して、この一件を皆に伝えます。

ところが、当時10人ほどだった社員達は、口を揃えて言います。

「社長、多湖さんがうちなんかに、来るわけないじゃないですかー!」

「そんなの、ないよね~っ」と。

しかし、講演から一週間後。

約束通り、多湖は彼の会社に現れたのでした。

時代の寵児とも呼ばれる、多湖輝のまさかの来訪に、社員達は驚きと緊張で言葉を失っています。

しかし多湖は、一人ひとりに気さくに語りかけながら、それぞれが担う役割を丁寧に聞いていきました。

そして、別れ際。

「それじゃあ、また来るよ!」と、事務所を後にしていきました。

それから一ヶ月後。

多湖は、再び事務所まで足を運び、こう告げるのでした。

「竹野君。ある会社に君の話をしてあるので、ちょっと行ってごらん。きっと、仕事のためになるから」と。

後日、輝之は指示通りに、その会社を訪れます。

そして、そこに待っていたものは、彼の人生における、大いなる“テスト”であったのです。

≪つづく≫

※この物語はフィクションです。

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