MENU

社長コラム

人生のテスト

薦められるがままに、彼はその会社の門を叩きました。

そこは、ある私立大学のビジネススクールの教授陣を顧問に、大手広告代理店を通じて、法人企業へ企画提案やコンサルを行う、ミッション・ワンという会社でした。

挨拶に現れた社長は、言いました。

「多湖先生から伺ってます。これからよろしく」

聞いてみれば、これから彼は、即席のプロとしてコンサルチームに入り、材料集めや企画書の作成、さらには顧問たちが語るシナリオまで準備するといった、スタッフ業務を担当することが、多湖の計らいによって決まっていたのでした。

心の準備の暇もなく、飛び込んだミーティング。顧問の先生たちが発する、耳にしたこともない言語ばかりが飛び込んできます。

彼は慌ててメモに控えては調べるという、地道な作業を繰り返して企画づくりに臨みます。

 

しばらく、その仕事ぶりを見ていた社長が問いました。

「竹野君は、こうした実務をやってきたの?」

「いえ、これまで文具の卸しをやってきました」

「そうなんだ・・・ちょっと、君の学歴教えてくれる?」と。

哲学科の出身だったことを知った社長は、静かに頷きました。経験がないにも関わらず、なぜ彼がスムーズに企画書をつくれるのか、その訳を理解したからでした。

哲学の専攻を通じて、そもそも対象物をどう捉えるのか、またそれはいかにして成り立っているのかを、皆がそうだと言える筋道で語る力が、既に鍛え上げられていたのです。

彼は、顧客となる法人企業の事業や組織に光をあて、問題の構造に関する仮説を掲げつつ、顧問たちが語る最新のセオリーを折り込んだ提案を、次々と成立させていきます。

 

しかし、本当の戦いはそこからでした。

その実態を、調査・報告してみれば、大抵の場合「だったら、一体どうしたらいいの?」との、顧客の問いが待っていました。

その際「ご契約は、調査報告までです」と釈明してみたところで、問いを満たしていなければ、そこまで積み上げてきた努力が無に帰します。

そこで、顧客の要求を凌駕するためには、これまでの筋道をいったん捨て去り、時には再調査を通じて不足の要素を補いながら、新たなストーリーを築き上げる以外にありませんでした。

 

こうして幾多の壁に直面しながら、彼は「プロフェッショナルの仕事とは、顧客の“次の問い”を先んじて想定し、それを満たすための要件を、あらかじめ弁えること」であると知り、そこに徹していくのでした。

 

午後6時。

昼間の仕事を終えた彼は、浅草の自分の会社へと出社します。

日中に溜まっていた仕事に手をつけ始め、全てを終えてみれば、いつも夜半を越えています。

そんな彼は、事務所の床に敷いたダンボールの上に、疲れきった体を横たえ、朝まで短い睡眠をとるのでした。

中小企業とはいえ、一国の主である輝之が、そこまでして過酷な日々に挑んだ理由・・・それは実に今が勝負の時であり、その姿勢いかんによって、それからの人生が決定づけられると、直感していたからでした。

 

一年が過ぎた頃。

多湖から、一本の連絡が入りました。

「竹野君、もういいんじゃない? 十分やったらしいね」と。

多湖は、この会社の顧問たちの耳目を通じて、彼の力量をじっと見つめていたのでした。

そしてこの連絡は、大いなる“テストの終わり”と、その“合格発表”を告げるものでもあったのです。

 

─── 学生時代に刻んだ多湖の言葉が、彼の胸に蘇ります。

「教育の本質は“仕掛け”です。教師の果たすべき役割とは、生徒が“学ばざるを得ない状況”を作り上げることなのです」と。

これ程までに、厳しいものはなかったとも言える、学びの仕掛け・・・しかし、ためらうことなく身を投じた一年は、彼の持てる力を急速に引き出しただけでなく、多湖にとって、無数の教え子の一人から、彼を真正の一人の弟子へと、跳躍させた時でもありました。

 

多湖が自らの進言で、シタシオンジャパンの顧問へと就任したのは、それから程なくしてのことでした。

≪つづく≫

※この物語はフィクションです。

最新の社長コラム

2017年4月5日
禁断の問い

夕暮れの、大阪・中ノ島。

2017年3月14日
人生のテスト

薦められるがままに、彼はその会社の門を叩きました。

2017年2月14日
多湖先生との再会

会社を立ち上げてから5年。

2016年12月13日
竹野の一代記を描いて

どうか、大仰にはしないでくれ・・・

2016年10月25日
挑戦と応戦

思いもかけなかった、一本の電話。

2016年9月13日
青天の霹靂

レストランでの語らいから、数日後。

2016年8月18日
三島をめぐる語らい

実に宿縁深き、この街。

2016年7月19日
運命のクロス

彼は、影の画策に憤っていました。

2016年6月28日
頂上作戦

頂上作戦の、機は熟しました。

2016年5月27日
へりくだらなくてよい価値

彼は、データを凝視していました。

2016年5月27日
欧州に翔ぶ(後)

輝之の眼差しに、ロパッソは思います。

2016年3月15日
欧州に翔ぶ(前)

1985年の年初。欧州に向う機中で、輝之は熟考を重ねていました。

2016年2月25日
「心に残る一節」という名の会社

社会の扉の前に立った、輝之の心を巡るもの。

2015年11月25日
成長の熱源

果たして、上田薫氏は“研究者”だったのか? それとも“教育者”だったのか?

2015年10月27日
恩師の薫陶

研究室の一員となった輝之を待ち受けていたのは、あらゆる話し合いの場における、上田先生からの“質問”でした。

2015年9月29日
哲学の師を求めて

教育の道を志して、千葉大学・教育学部に入学した輝之。

2015年8月18日
流れに抗う選択

幕末の志士・高杉晋作が詠んだと言われるこの句を、これまで輝之は、事あるごとに引用してきました。

2015年7月22日
数学教師のロマン

中学に進学した輝之に、最も大きい影響を与えたのは、またしても、ある教師との出会いでした。

2015年6月23日
二つの事件

竹野家が、千葉・稲毛の地に引越した後、輝之は夏休み明けの二学期から、市内の小学校に通い始めます。

2015年5月26日
ロケット雲を仰いだ日

創業から十数年間の、事業変遷の背景にある「水底のゆるやかな動き」を見つめる時、その流れを決定づけた人物の存在が、浮かび上がってきます。

2015年4月22日
すべての営みの出発点

当社のメルマガ創刊より、一年が経ちました。

2015年3月24日
パリが“花の都”である理由

フェイスブックのウォールを賑わせていた、学生たちの卒業旅行の季節も、終わりに近づきました。

2015年2月24日
能楽堂と「鏡の間」

昨年の暮れ、渋谷区松濤の観世能楽堂を訪れました。

2015年4月22日
1985年の年初。

欧州に向う機中で、輝之は熟考を重ねていました。

2014年12月19日
私の就職活動

今から20年前の‘94年の春、大学の研究室にいた私は、卒業を一年後に控えていました。

2014年11月19日
人と組織のファクトに向き合って

本年の9月、朝日新聞のコラムで、星浩(ほしひろし)特別編集委員が、政治記者の先輩であった、故・石川真澄氏の言葉を、引用しています。

2014年10月15日
“神が宿る細部”を求めて

先日、元サッカー日本代表監督・岡田武史氏の講演を伺いました。

2014年9月17日
「ニーバーの祈り」に託されたもの

今年の年初、心理学者であるA・アドラーの思想に基づいて綴られた一冊が、友より贈られました。(『嫌われる勇気』ダイヤモンド社)

2014年8月26日
恩師と夏の日

こうした仕事をしていると、よく「会社の皆さんは、心理学や統計学のご出身ですか?」と聞かれます。

2014年7月24日
ブラジルW杯の閉幕に思う

南米開催における、初の欧州国・ドイツの優勝をもって、サッカーW杯・ブラジル大会は幕を閉じました。

2014年6月23日
定説を排して見えるもの

その朝、大連の街は、マイナス15度の冷気に包まれていました。

2014年5月20日
林知己夫先生と三代の系譜

振り返れば、かけがえのない出会いがあります。

2014年4月25日
eFの活動:創刊の挨拶

皆さま、こんにちは。 イー・ファルコンの志村です。

「全ての営みの出発点」新着の社長コラム

2017年4月5日
禁断の問い

夕暮れの、大阪・中ノ島。

2017年3月14日
人生のテスト

薦められるがままに、彼はその会社の門を叩きました。

2017年2月14日
多湖先生との再会

会社を立ち上げてから5年。

2016年12月13日
竹野の一代記を描いて

どうか、大仰にはしないでくれ・・・

2016年10月25日
挑戦と応戦

思いもかけなかった、一本の電話。

2016年9月13日
青天の霹靂

レストランでの語らいから、数日後。

2016年8月18日
三島をめぐる語らい

実に宿縁深き、この街。

2016年7月19日
運命のクロス

彼は、影の画策に憤っていました。

2016年6月28日
頂上作戦

頂上作戦の、機は熟しました。

2016年5月27日
へりくだらなくてよい価値

彼は、データを凝視していました。

2016年5月27日
欧州に翔ぶ(後)

輝之の眼差しに、ロパッソは思います。

2016年3月15日
欧州に翔ぶ(前)

1985年の年初。欧州に向う機中で、輝之は熟考を重ねていました。

2016年2月25日
「心に残る一節」という名の会社

社会の扉の前に立った、輝之の心を巡るもの。

2015年11月25日
成長の熱源

果たして、上田薫氏は“研究者”だったのか? それとも“教育者”だったのか?

2015年10月27日
恩師の薫陶

研究室の一員となった輝之を待ち受けていたのは、あらゆる話し合いの場における、上田先生からの“質問”でした。

2015年9月29日
哲学の師を求めて

教育の道を志して、千葉大学・教育学部に入学した輝之。

2015年8月18日
流れに抗う選択

幕末の志士・高杉晋作が詠んだと言われるこの句を、これまで輝之は、事あるごとに引用してきました。

2015年7月22日
数学教師のロマン

中学に進学した輝之に、最も大きい影響を与えたのは、またしても、ある教師との出会いでした。

2015年6月23日
二つの事件

竹野家が、千葉・稲毛の地に引越した後、輝之は夏休み明けの二学期から、市内の小学校に通い始めます。

2015年5月26日
ロケット雲を仰いだ日

創業から十数年間の、事業変遷の背景にある「水底のゆるやかな動き」を見つめる時、その流れを決定づけた人物の存在が、浮かび上がってきます。

2015年4月22日
すべての営みの出発点

当社のメルマガ創刊より、一年が経ちました。

2015年3月24日
パリが“花の都”である理由

フェイスブックのウォールを賑わせていた、学生たちの卒業旅行の季節も、終わりに近づきました。

2015年2月24日
能楽堂と「鏡の間」

昨年の暮れ、渋谷区松濤の観世能楽堂を訪れました。

2015年4月22日
1985年の年初。

欧州に向う機中で、輝之は熟考を重ねていました。

2014年12月19日
私の就職活動

今から20年前の‘94年の春、大学の研究室にいた私は、卒業を一年後に控えていました。

2014年11月19日
人と組織のファクトに向き合って

本年の9月、朝日新聞のコラムで、星浩(ほしひろし)特別編集委員が、政治記者の先輩であった、故・石川真澄氏の言葉を、引用しています。

2014年10月15日
“神が宿る細部”を求めて

先日、元サッカー日本代表監督・岡田武史氏の講演を伺いました。

2014年9月17日
「ニーバーの祈り」に託されたもの

今年の年初、心理学者であるA・アドラーの思想に基づいて綴られた一冊が、友より贈られました。(『嫌われる勇気』ダイヤモンド社)

2014年8月26日
恩師と夏の日

こうした仕事をしていると、よく「会社の皆さんは、心理学や統計学のご出身ですか?」と聞かれます。

2014年7月24日
ブラジルW杯の閉幕に思う

南米開催における、初の欧州国・ドイツの優勝をもって、サッカーW杯・ブラジル大会は幕を閉じました。

2014年6月23日
定説を排して見えるもの

その朝、大連の街は、マイナス15度の冷気に包まれていました。

2014年5月20日
林知己夫先生と三代の系譜

振り返れば、かけがえのない出会いがあります。

2014年4月25日
eFの活動:創刊の挨拶

皆さま、こんにちは。 イー・ファルコンの志村です。

  • 社長コラムTOP
  • インサイトTOPへ

お問い合わせはこちら

CONTACT US
株式会社イー・ファルコン コーポレートサイトPAGETOP

© e-Falcon Co.,Ltd All Rights Reserved.