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社長コラム

禁断の問い

夕暮れの、大阪・中ノ島。

老舗ホテルの会議室では、あるプロジェクトが始動しようとしていました。

クライアントは、関西の総合家電メーカーである、五洋電機。

三々五々と集い来る、宣伝部部長、課長、そしてAV事業部の主任たちが、大きく円形に配された白いクロスのテーブルへと、案内されていきます。

それら五洋の面々を迎えるのは、広告代理店・電誘、電誘の子会社、企画会社のミッション・ワン、そして出向中の輝之による、合同プロジェクトチームです。

この90年代の当時、五洋電機の従業員は約5万5千人、売上高で約1兆5000億円の業績を誇りましたが、白モノ家電のブランドイメージが浸透していた一方で、オーディオビジュアル(AV)家電等、いわゆる黒モノ家電におけるイメージは極めて低調であり、常にソニー、松下電器、日立の後塵を拝していました。

まず会議の冒頭、宣伝部部長が挨拶に立ち、市場における五洋電機の商品と企業イメージの実態を、定量・定性調査で明らかにした上、新たなコミュニケーションの糸口を探索するという、このプロジェクトの目的を紹介しています。

この挨拶の終わりを合図にして、この会議室の扉が押し開けられました。

すると、ホテルスタッフによって、フランス料理が運び込まれてきます。

このプロジェクトのキックオフ会議は、フレンチのフルコースによる、ディナーミーティングでした。

「大した演出が、あるものだ・・・」

提案チームの末席に座る輝之は、大手・広告代理店の取り仕切りに、唖然としています。

こうして会議が進む中、遅れて会場に辿り着いた一人がいました。

AV事業部・音響企画部の、實川(さねかわ)主任でした。

事前に詳しく主旨を聞かされぬまま、仕事を調整して駆けつけた實川も、豪華に料理が振舞われている会場を見渡して、目を丸くしています。

─── 期せずしてこの夜が、これから永きに渡っての戦友となる、實川と竹野の邂逅の時となったのでした。

中ノ島会議から、数日後。

實川は、東京・浅草の雷門のほど近く、駒形橋のたもとにある前川ビルを見上げていました。

彼は、このプロジェクトを実りあるものとするため、調査設計を担当するシタシオンジャパンへと、足を運んだのでした。

文具が詰め込まれたダンボール箱を、除けながら上る階段の先に、シタシオンジャパンの事務所があります。

会議室に通されてみると、デザイン家具の試作品が、所狭しと並んでいます。

「電誘への発注と聞いとったが、なんじゃこの会社は?! こんなところに任せておいて、本当に大丈夫なんかい??」

しかし、いざ協働が始まってみれば、そうした杞憂は打ち消されました。

調査設計では、視点や聞き方がきめ細かく考慮され、ちょっとしたニュアンスも逃がすまいと工夫がなされていきます。

そして、実査に立ち会えば「なぁ~ もう、ええんとちゃう?」と、思わず口をはさみたくなる程、インタビューが徹底されていくのでした。

再び、大阪。

あのホテルで、フランス料理・フルコースの中間報告会が行われます。

「おい、またかいっ! 毎回、毎回、結婚式とちゃうんやで!

大体にしてこの料理も、五洋がまかなう費用やろ・・・しかも、この報告資料だって、みんな竹野ちゃんが作ったまんまやないか!」

現場で、輝之の熱意を目の当たりにしていた實川の中では、五洋電機とシタシオンジャパンの間に存在している、商流上の3つの中間業者に対して、疑念がふくらんでいきました。

ある日、實川は問いました。

「なぁ、竹野ちゃん、ひとつ教えてや。

このプロジェクト、あんたのところ、一体、ナンボで受けとるの?」

禁断の問いを、投げかけた實川・・・二人の間に、沈黙が流れました。

≪つづく≫

※この物語は、フィクションです。

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