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社長コラム

ブラジルW杯の閉幕に思う

南米開催における、初の欧州国・ドイツの優勝をもって、サッカーW杯・ブラジル大会は幕を閉じました。


今大会の準決勝が終わった瞬間、私の脳裏には、‘90年のイタリア大会の記憶が蘇りました。

その決勝カードは、D・マラドーナをキャプテンに擁し、2連覇へ挑むアルゼンチンと、F・ベッケンバウアーが監督となり、前大会の雪辱を期すドイツ(当時は西ドイツ)との一戦でした。

友人たちが集う下宿部屋で観た、あの衛星中継・・・その記憶には、4人のレギュラーを欠いた上に、2名の退場者を出すという、満身創痍の軍を率いた“孤高の闘将”と、足元へと静かに視線を落としながら、敵軍を追い込みゆく“沈着の皇帝”との、鮮烈なコントラストが刻まれていました。

しかし・・・そのドイツが、再び世界の頂点に立つまでには、実に24年の歳月を要することになる訳です。


この四半世紀の間に、ドイツが真剣に改革へ踏み出した契機がありました。

それは2000年の欧州選手権で、代表チームが1勝もできず(成績は0勝1分2敗)、かつての世界王者の誇りが、崩れ去った時のことです。

この時より、ドイツサッカー連盟が傾注したのは、名将の招聘でもなく、また単なる代表チームの強化策でもなく、国内1・2部の全クラブに対する、下部組織の設置の義務化を通じた“若手の発掘”と、育成プログラムの改革による“若手の育成”でした。

そして、やがて下部組織から途切れなく送り出されるようになったタレントの登用を通じて、今日の代表チームに見られる、重厚な選手層が築き上られたと言います。


─── 短期で論ずれば、大会の成果を決するものは“監督の采配によって発揮された、選手達のパフォーマンス”である。

しかし長期で論ずれば、それは他でもなく“陸続と輩出されゆく、人材の流れ”そのものである ───

そうした観点から、今日のドイツの強さの“根源”に目を向ける時、それは一過性のものではなく、未来への永続性を持つものであることが推察されるのです。


今夏、当社では、あるJリーグのクラブチームにおける育成組織(ジュニアユース)との、共同プロジェクトを発足させます。


その目的と概要は、次の三点です。

まず、一点目は「アスリートの知的能力の把握と開発」です。

大会の開幕直前に放映のNHKスペシャルでも、高度な知的能力を保持したアスリートが、身体特性で勝る他の選手達を、凌駕している実態が解明されていました。

身体や技能のみでなく、創造的能力を含めた知的能力やパーソナリティの側面から、選手たちの個性を特定し、指導を支援しようというものです。


次に、二点目は「発達段階における決定的な経験の共有」です。

人間の発達段階の過程において、積みゆくべき経験には、決して“外してはいけない時”というものがあります。

そこで、一流のアスリート達が、自己形成におけるどのステージで、いかなる経験を積んできたのか、それを共有して指導に活用しようというものです。


そして、三点目は「チームビルディングの検討」です。

我々は、当社が保有する特許技術を用いて、企業組織の最適編成(チームビルディング)を支援しています。

特定の職質の棚卸しを通じて、そこで求められる“個の要件”を定義すると共に、いかなる“個と個の組み合わせ”が、互いのクオリティを高め合い、またそれを妨げ合うのか、その法則を明らかにして組織編成に役立てる・・・このメソッドを、ジュニアユースチームに適用しようというものです。


今大会を通じて、我々日本は、サッカーW杯の頂点というものが遥か高く、また、遥か遠いものであったことを知りました。


しかし、ある登山家は言いました。

「一歩を踏み出せるなら、もう一歩も踏み出せる」と。


今大会の優勝国が体現した、強さの“根源”を見つめながら、我々日本が踏み出した“希望の頂”への歩みを、更にその先へと、進めていきたいと思います。

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