MENU

社長コラム

恩師と夏の日

こうした仕事をしていると、よく「会社の皆さんは、心理学や統計学のご出身ですか?」と聞かれます。

しかし、実際のところ当社で“その筋の者”は、ほんの僅かです。

ちなみに私は、工学部/工業意匠(デザイン)学科/意匠論・意匠史という、理系と美系と文系が融合した、専攻の出身です。

そして、その研究室時代の恩師が、千葉大学名誉教授・宮崎 清先生です。


1967年に助手となられて以来、宮崎先生の研究テーマは「ものづくりを通じた地域づくり」でありました。

その先生の歩みは、同年に研究室を去られた、先師・小池新二先生の言葉である「工芸の本質はあくまでも“用”にある」や、また「そこには“生活”に対する、科学的検討、分析と総合がなければならない」等の教えを、ご自身の信条となさったものでありました。


この、宮崎先生のご活動の象徴が「デザイン・サーベイ」です。

夏季を中心に一週間ほど、数十名の学生たちと地方の町村を訪れ、居住者の生活の場で、その一員として行動しながら問題を把握した上で、地域への報告と新たなデザインを提案するというものです。

先生のご指導は、実にシンプルでした。 「一切の仮説を排してお話を伺いなさい。もしそれが続くならば、一晩、宿舎に帰ってこなくてよい」

サーベイの成否は、地域の方々から“教授してもらう”という精神が、貫かれているか否かで決まると考えておられました。

ところが、困ったことが起きます。 ある、過疎集落のお宅へと伺ったところ、そのご主人が「東京から来た学生さんに話せることなど、何一つありません」と、恥ずかしそうに黙ってしまうのです。

しかし、その壁に架けてあった、藁(わら)細工の作り方についてお尋ねしたとたん、ご主人は堰を切ったように饒舌となり、やがてその場は酒盛りと化し、いつしか夜は更けていく・・・そんな体験もありました。


一方、ある現場で学生が、都市圏のデザインの流行を得意そうに、しかも冗長に語っていたことが先生の耳に入りました。

その瞬間、宿舎に怒声が響きました。

「馬鹿モノっ! 地域の方に“何かを教えてあげよう”などというのは、とんでもない思い上がりです!!」と。

それは自らの立場や価値観を排し、多様な文化を受け入れるべき、調査者としての姿勢を打ち込まれた渾身のご指導でした。


最初は、こうした薫陶や「集落の“光”の再発見」といった、先生のメッセージの真意を量りかね「こんな寂れた場所に、光なんてないぜっ!」と、影で反発していた学生たちにも、やがて変化が訪れます。

道具や生活等「目に見える側面」の、背景に広がる「目に見えない側面」、つまり地域の方々の豊かな“心の世界”へと、視点が深まり始めるのです。 そして、地域が抱える問題に対して一体何ができるのか、また自分たちにそれを語る資格があるのかと、夜を徹した議論が始まるのです。

ご協力下さった地域の皆さんが、一堂に会する報告会。 その地域の明日を祈る思いで、言葉を紡ぎゆく学生たち・・・その会場の片隅には、彼らを見届けつつ一人涙なさる、宮崎先生がおられました。


この、わずか数日の間に起こる劇的な変化を、先生は“地域の教育力”と呼ばれたことがあります。

私はその言葉に、先生がこのサーベイで「地域づくりを通じた人づくり」の実現を、目指しておられることを知りました。

あの瞬間・・・私の中に芽生えた“視座の深化”に基づく“行動の拡張”こそが、人間成長の実体ではないかという仮説が、いつしか当社で定める「見える化」と「できる化」という、人材価値基準へと昇華したと言えます。


既に古希を迎えた宮崎先生は、研究室を継承して退官されていますが、これまで二千人余りの学生たちが、真夏の地域を奔走してきました。

そして過日も母校には、終えたばかりのサーベイの整理に勤しむ、若き研究室員の姿がありました。

八月が来るたびに、あの眩しい太陽の下を歩み続けた、夏の日を思い出します。


※注)引用文中の旧字体は、新字体に変更しました。

最新の社長コラム

2017年4月5日
禁断の問い

夕暮れの、大阪・中ノ島。

2017年3月14日
人生のテスト

薦められるがままに、彼はその会社の門を叩きました。

2017年2月14日
多湖先生との再会

会社を立ち上げてから5年。

2016年12月13日
竹野の一代記を描いて

どうか、大仰にはしないでくれ・・・

2016年10月25日
挑戦と応戦

思いもかけなかった、一本の電話。

2016年9月13日
青天の霹靂

レストランでの語らいから、数日後。

2016年8月18日
三島をめぐる語らい

実に宿縁深き、この街。

2016年7月19日
運命のクロス

彼は、影の画策に憤っていました。

2016年6月28日
頂上作戦

頂上作戦の、機は熟しました。

2016年5月27日
へりくだらなくてよい価値

彼は、データを凝視していました。

2016年5月27日
欧州に翔ぶ(後)

輝之の眼差しに、ロパッソは思います。

2016年3月15日
欧州に翔ぶ(前)

1985年の年初。欧州に向う機中で、輝之は熟考を重ねていました。

2016年2月25日
「心に残る一節」という名の会社

社会の扉の前に立った、輝之の心を巡るもの。

2015年11月25日
成長の熱源

果たして、上田薫氏は“研究者”だったのか? それとも“教育者”だったのか?

2015年10月27日
恩師の薫陶

研究室の一員となった輝之を待ち受けていたのは、あらゆる話し合いの場における、上田先生からの“質問”でした。

2015年9月29日
哲学の師を求めて

教育の道を志して、千葉大学・教育学部に入学した輝之。

2015年8月18日
流れに抗う選択

幕末の志士・高杉晋作が詠んだと言われるこの句を、これまで輝之は、事あるごとに引用してきました。

2015年7月22日
数学教師のロマン

中学に進学した輝之に、最も大きい影響を与えたのは、またしても、ある教師との出会いでした。

2015年6月23日
二つの事件

竹野家が、千葉・稲毛の地に引越した後、輝之は夏休み明けの二学期から、市内の小学校に通い始めます。

2015年5月26日
ロケット雲を仰いだ日

創業から十数年間の、事業変遷の背景にある「水底のゆるやかな動き」を見つめる時、その流れを決定づけた人物の存在が、浮かび上がってきます。

2015年4月22日
すべての営みの出発点

当社のメルマガ創刊より、一年が経ちました。

2015年3月24日
パリが“花の都”である理由

フェイスブックのウォールを賑わせていた、学生たちの卒業旅行の季節も、終わりに近づきました。

2015年2月24日
能楽堂と「鏡の間」

昨年の暮れ、渋谷区松濤の観世能楽堂を訪れました。

2015年4月22日
1985年の年初。

欧州に向う機中で、輝之は熟考を重ねていました。

2014年12月19日
私の就職活動

今から20年前の‘94年の春、大学の研究室にいた私は、卒業を一年後に控えていました。

2014年11月19日
人と組織のファクトに向き合って

本年の9月、朝日新聞のコラムで、星浩(ほしひろし)特別編集委員が、政治記者の先輩であった、故・石川真澄氏の言葉を、引用しています。

2014年10月15日
“神が宿る細部”を求めて

先日、元サッカー日本代表監督・岡田武史氏の講演を伺いました。

2014年9月17日
「ニーバーの祈り」に託されたもの

今年の年初、心理学者であるA・アドラーの思想に基づいて綴られた一冊が、友より贈られました。(『嫌われる勇気』ダイヤモンド社)

2014年8月26日
恩師と夏の日

こうした仕事をしていると、よく「会社の皆さんは、心理学や統計学のご出身ですか?」と聞かれます。

2014年7月24日
ブラジルW杯の閉幕に思う

南米開催における、初の欧州国・ドイツの優勝をもって、サッカーW杯・ブラジル大会は幕を閉じました。

2014年6月23日
定説を排して見えるもの

その朝、大連の街は、マイナス15度の冷気に包まれていました。

2014年5月20日
林知己夫先生と三代の系譜

振り返れば、かけがえのない出会いがあります。

2014年4月25日
eFの活動:創刊の挨拶

皆さま、こんにちは。 イー・ファルコンの志村です。

「月々・日々の雑記」新着の社長コラム

2017年4月5日
禁断の問い

夕暮れの、大阪・中ノ島。

2017年3月14日
人生のテスト

薦められるがままに、彼はその会社の門を叩きました。

2017年2月14日
多湖先生との再会

会社を立ち上げてから5年。

2016年12月13日
竹野の一代記を描いて

どうか、大仰にはしないでくれ・・・

2016年10月25日
挑戦と応戦

思いもかけなかった、一本の電話。

2016年9月13日
青天の霹靂

レストランでの語らいから、数日後。

2016年8月18日
三島をめぐる語らい

実に宿縁深き、この街。

2016年7月19日
運命のクロス

彼は、影の画策に憤っていました。

2016年6月28日
頂上作戦

頂上作戦の、機は熟しました。

2016年5月27日
へりくだらなくてよい価値

彼は、データを凝視していました。

2016年5月27日
欧州に翔ぶ(後)

輝之の眼差しに、ロパッソは思います。

2016年3月15日
欧州に翔ぶ(前)

1985年の年初。欧州に向う機中で、輝之は熟考を重ねていました。

2016年2月25日
「心に残る一節」という名の会社

社会の扉の前に立った、輝之の心を巡るもの。

2015年11月25日
成長の熱源

果たして、上田薫氏は“研究者”だったのか? それとも“教育者”だったのか?

2015年10月27日
恩師の薫陶

研究室の一員となった輝之を待ち受けていたのは、あらゆる話し合いの場における、上田先生からの“質問”でした。

2015年9月29日
哲学の師を求めて

教育の道を志して、千葉大学・教育学部に入学した輝之。

2015年8月18日
流れに抗う選択

幕末の志士・高杉晋作が詠んだと言われるこの句を、これまで輝之は、事あるごとに引用してきました。

2015年7月22日
数学教師のロマン

中学に進学した輝之に、最も大きい影響を与えたのは、またしても、ある教師との出会いでした。

2015年6月23日
二つの事件

竹野家が、千葉・稲毛の地に引越した後、輝之は夏休み明けの二学期から、市内の小学校に通い始めます。

2015年5月26日
ロケット雲を仰いだ日

創業から十数年間の、事業変遷の背景にある「水底のゆるやかな動き」を見つめる時、その流れを決定づけた人物の存在が、浮かび上がってきます。

2015年4月22日
すべての営みの出発点

当社のメルマガ創刊より、一年が経ちました。

2015年3月24日
パリが“花の都”である理由

フェイスブックのウォールを賑わせていた、学生たちの卒業旅行の季節も、終わりに近づきました。

2015年2月24日
能楽堂と「鏡の間」

昨年の暮れ、渋谷区松濤の観世能楽堂を訪れました。

2015年4月22日
1985年の年初。

欧州に向う機中で、輝之は熟考を重ねていました。

2014年12月19日
私の就職活動

今から20年前の‘94年の春、大学の研究室にいた私は、卒業を一年後に控えていました。

2014年11月19日
人と組織のファクトに向き合って

本年の9月、朝日新聞のコラムで、星浩(ほしひろし)特別編集委員が、政治記者の先輩であった、故・石川真澄氏の言葉を、引用しています。

2014年10月15日
“神が宿る細部”を求めて

先日、元サッカー日本代表監督・岡田武史氏の講演を伺いました。

2014年9月17日
「ニーバーの祈り」に託されたもの

今年の年初、心理学者であるA・アドラーの思想に基づいて綴られた一冊が、友より贈られました。(『嫌われる勇気』ダイヤモンド社)

2014年8月26日
恩師と夏の日

こうした仕事をしていると、よく「会社の皆さんは、心理学や統計学のご出身ですか?」と聞かれます。

2014年7月24日
ブラジルW杯の閉幕に思う

南米開催における、初の欧州国・ドイツの優勝をもって、サッカーW杯・ブラジル大会は幕を閉じました。

2014年6月23日
定説を排して見えるもの

その朝、大連の街は、マイナス15度の冷気に包まれていました。

2014年5月20日
林知己夫先生と三代の系譜

振り返れば、かけがえのない出会いがあります。

2014年4月25日
eFの活動:創刊の挨拶

皆さま、こんにちは。 イー・ファルコンの志村です。

  • 社長コラムTOP
  • インサイトTOPへ

お問い合わせはこちら

CONTACT US
株式会社イー・ファルコン コーポレートサイトPAGETOP

© e-Falcon Co.,Ltd All Rights Reserved.