人事部の資料室

ノムさんのプロ野球監督論に学ぶ 「教えないことが名コーチ」の真髄とは

作成者: e-falcon|2023/07/25

「自ら考え、行動する社員が育たない」「指示待ちの部下ばかりで、マネージャーの負担が減らない」。 多くの企業が抱える、永遠の課題とも言える「人材育成」。

日本の球界に残る名将「ノムさん」こと野村克也氏は、この難題に対するヒントとなる数多くの言葉を残しています。

自身の選手経験、監督経験から得た言葉の数々には、企業のマネジメントが学ぶべき要素がたくさん詰まっています。 そのうちの一つが、「指導者は『選手を育てよう』などと考えてはいけない」というものです。

MLBの格言「教えないことが名コーチ」

野村克也氏と言えば、選手としての実績だけでなく、監督としての名将として今もその名を残す人です。

引退後も多くの著書を残していますが、その名もズバリ「指導者のエゴが才能をダメにする」という書籍の中ではこのような言葉を紹介しています。

メジャーリーグには昔から『教えないことが名コーチ』という格言がある。教えたくても教えない。その気持ちを大切にしてほしい。

<引用:野村克也「指導者のエゴが才能をダメにする」p110>

「人は育てるものではなく育っていくもの」だということです。
どういうことでしょうか?

野村氏は、選手時代のこんなエピソードを紹介しています*1。
野球といえば「走攻守」ですが、野村氏はこのうち「走る」ことをもっとも苦手としていたといいます。
そして1978年にロッテに移籍したときの話です。当時の金田正一監督は野村氏に「とにかく走ることを推奨していた」のだそうです。朝から晩まで「走れ!」というムードで練習が進んでいきます。

すると、野村氏の中にこのような変化が生まれたと言います。

 最初はとにかく苦痛で苦痛で仕方なかった。「こんなのはよ終われよ」ー  。何度も何度もそう思ったものだ。
 だが、1日、また1日と過ぎていくごとに、苦痛の度合いが変わってきた。もちろんトップグループを並走するなんてことはなかったものの、どん尻の最下位ということではなくなり、少しずつ順位を上げていくことができた。
「うん、これなら現役としてまだやっていけそうだぞ」
自分に自信が湧いてきたのを、昨日のことのように思い出す。

<引用:野村克也「指導者のエゴが才能をダメにする」p108-109>

その経験から野村氏は、選手を「指導者が育てた」というのは指導者のエゴであって、選手の頑張りがあったからこそ「育っていった」のだと考えるようになったといいます。

この野村氏の経験は、「ひたすら走っている(走らされている)うちに自ら気づきを得た」というのが大きなポイントです。金田監督からしても、走らせているうちに本人が気づきを得るまで見守っていた、という具合でしょう。それも、走りが苦手なのは野村氏本人も承知していたことです。金田監督が弱点として指摘したことでもありません。

「丁寧な指導」とは何なのか

一方、人手が足りない、若手社員の離職が多い、といった事情もあり、どうしても若手には懇切丁寧に指導をしてしまう、そんなマネジメントは少なくないことでしょう。

新入社員のなかにも「丁寧に指導してほしい」という希望が多いのも実情です。下は、新入社員を対象にリクルートマネジメントソリューションが実施した調査の結果です(図1)。

(出所:「新入社員意識調査2022」リクルートマネジメントソリューションズ)
https://www.recruit-ms.co.jp/press/pressrelease/detail/0000000377/


「一人ひとりに対して丁寧に指導すること」を求める新入社員が多いことがわかります。

しかし、野村氏はこう述べています。

私が危惧しているのは、「教えすぎると選手自ら考えなくなる」ことだ。どこか不調なところがあると、すぐに指導者が教える。これでは選手は何が悪いのか自ら考え、その原因をつかみとり、ひいては「これだ!」というスランプを脱出する時のコツを会得することができなくなってしまう。

<引用:野村克也「指導者のエゴが才能をダメにする」p122>

確かに、これは真実です。
では、「丁寧に教える」ことと「部下が自ら気づきを得るまで待つ」ことを、どう両立していけばよいのでしょう。

「待てる」のは、部下の「ポテンシャル」を信じているから

部下の成長を「待つ」というのは、上司にとって非常に勇気のいる行為です。「失敗したらどうするんだ」「このまま成長しなかったら時間の無駄ではないか」という不安がつきまとうからです。

だからこそ、多くのマネージャーは不安に負けて「教えすぎて(手出ししすぎて)」しまい、結果として「指示待ち部下」を生み出してしまいます。

上司が自信を持って「待つ」ためには、部下の見えない「ポテンシャル(潜在能力)」を信じる根拠が必要です。

「この部下には、自ら壁を乗り越える『忍耐力』がある」「彼には独自の発想で解決する『創造性』がある」。こうした特性を、勘や経験ではなく「客観的なデータ」で把握できていれば、上司は部下を信じて見守ることができます。

「勘」に頼らない科学的なアプローチで、部下のポテンシャルを引き出し、自律型人材を育てるマネジメント手法については、こちらの資料をご覧ください。

「タイミング」の丁寧さ

野村氏は、王貞治氏が巨人で助監督を務めていた時のエピソードを紹介しています*2。

王氏が選手を引退し、現在の巨人・原辰徳監督が入団してきた時のことです。
野村氏は、春季キャンプでインハイのボールを処理できないという原監督の弱点を見つけていました。しかし、王氏はその弱点を本人に指摘することはありませんでした。

そのまま原監督がデビューして、最初は好成績だったものの、野村氏の予想通り弱点を相手チームに徹底的に攻め込まれ、原監督は徐々に成績を落としていきます。それでも王氏は変わらず沈黙していました。

いったいどこまで我慢するのだろうかー。
「自分の力で這い上がってこい」、王が原にメッセージを送っているような気がした。
(中略)
 誰も助けてくれなければ、頼りになるのは己の力だけである。自分が突き当たっている壁をどう乗り越えればいいのか、寝ても覚めても考える。原自身、「プロは1人で生きていかなければならない」ことを学んだのと同時に、「考えることの大切さ」も痛切に感じたに違いない。
 そうして王が原にアドバイスを送ったのは、ルーキーイヤーの6月のこと。つまり春季キャンプが始まってから4カ月も経過してからである。

<引用:野村克也「指導者のエゴが才能をダメにする」p124-125>

当時の王氏は、選手に教えなさすぎると一部メディアから批判されていたといいます。しかし「教えなさすぎ」なのではなかったということです。

新入社員の求めるように「一人ひとりに対して丁寧に指導する」というのには、このような「個人に合ったタイミングで必要なアドバイスをする」ということが含まれていてもよいのではないでしょうか。

むしろ、アドバイスを送るタイミングを考えるというのは部下一人ひとりをよく見ている上司でないとできない、と言えるのではないかと筆者は感じています。型にはまった指導論ではなく、これぞまさに個別指導ではないでしょうか。ひとつのことで一喜一憂しない姿勢は非常に大切だということをこのエピソードは教えてくれます。

よく、何から何まで懇切丁寧に教えたことでのちに「あいつは俺が育てた」となる上司はいるものです。しかし、それは「自分の型」に部下をはめただけ、という可能性があるのではないでしょうか。それでは新しい創造性は生まれません。

「褒める」一辺倒の指導に対する違和感

さて、野村氏は現代の風潮にある「褒める」一辺倒に対する違和感をこのように示しています。

 では、「叱らない、褒めてばかりの指導」はどうだろう。
 これについても、私は異を唱えたい。
 褒める指導というのは、一見効果があるように思われやすい。だが、人間というのは褒め続けられてしまうと、それが当たり前となってしまい、「あの人に褒めてもらった」という感動はなくなってしまう。
 人間というのは不思議なもので、褒められているうちは、そこそこの努力で止めてしまうことのほうが多いうえに、さらに上を目指そうという意欲も失いがちだ。それでは人が何かのスキルを身につけたいときに、効果的な方法であるとは言い難い。

<引用:野村克也「指導者のエゴが才能をダメにする」p9-10>

もちろん、「褒める」ことそのものを否定しているわけではありません。褒められることは若手のモチベーションに繋がることでしょう。

ただ、野村氏が指摘するように、すべての部下が「褒められて伸びる」わけではありません。

「褒められて当然の仕事をしなければならない」という過度のプレッシャーです。

「褒められること」をプレッシャーに感じ、「失敗できない」と委縮してしまうタイプ(慎重性が高い人など)もいれば、「なにくそ!」と叱咤激励されることで燃えるタイプ(競争心が強い人など)もいます。

「最近の若手は褒めないとダメだ」という固定観念(テンプレート)で一律に接することは、かえって部下の多様な個性を殺してしまう可能性があるのです。

「待つ」姿勢が新しい文化を生むことにも

ここまで野村氏の著書をもとに「指導」についてみてきました。

「手を出したいけれど出せない」。もどかしいことです。

しかし、若手に想像力を持たせなければ、移り変わる時代にはついていけません。彼ら・彼女ら自身が何かに気づいた時、それは違う時代を生きてきた上司が想像だにしない発想かもしれません。ただ、それがとても貴重なものなのです。

彼ら・彼女らは時が経てば、本人たちの時代を生きていかなければなりません。その時に、以前の時代の感覚をまるまま吹き込まれた状態でいると、困るのは本人たちです。

「かわいい子には旅をさせよ」。

ただし、それは「放置」とは違います。 部下のポテンシャルを正しく理解し、「この子なら乗り越えられる」という確信(データ)を持って、意図的に「待つ」。

鉄拳でもなく、甘やかしでもない。 「個を知り、信じて待つ」。 それこそが、データ活用時代の新しい「名コーチ」の条件ではないでしょうか。

私たちイー・ファルコンは、適性検査「eF-1G」を通じて、部下の見えないポテンシャルを可視化し、上司が自信を持って人材育成に取り組める環境づくりを支援しています。